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2019年4月27日 (土)

三国志 正史扱い認定 676

290年4月御年55歳で司馬炎「崩(御)」。
息子の司馬衷(259~307)が即位。この年、張華は「太子少傅」に。
*太子少傅・・(司馬遹<278~300>)皇太子の教育職
「三国志」執筆終了はこの年、或いは、遅くとも翌年291年初めの筈。
陳寿の「三国志」を読んで夏侯湛(243~291)が
ご自分で著述した「魏書」を「壊(やぶ)」ってしまい、それ以後
書くことを「罷(や)」めてしまったと。
その夏侯湛が291年に亡くなっているからです。
*夏侯湛・・夏侯淵(?~219)(曹操の義弟)の曾孫 
又、張華は「三国志」の出来映えを褒め、
「晋書」の執筆をも依頼する程であったと高く評価しています。
その後の張華は晋朝の政変事後処理に対する功労から昇進を重ね
296年1月には「司空」を与えられる迄に。(著作郎も兼任)
*著作郎・・中書省に属して国史の編集や制作を司ることを職務
一方、陳寿は母が亡くなった際、母の遺言である「洛陽の地に葬る事」
を忠実に実行した為、又々、非難を浴び失業の憂き目に。
儒教では親が亡くなった際、
親の生まれ故郷に埋葬しなければならないとの教えであったみたい。
後、陳寿は「太子中庶子」を与えられるも辞退、
297年病の為亡くなります。
陳寿の死後すぐに、
中書省官僚らの請願、張華のサポート、詔が下り、
「三国志」はここに「正史扱い」として認定されたのです。
このお陰で三国志は散逸せず、今現在でもわたくし達は
「魏志倭人伝」に接することが可能なのです。

間もなく(2019/05/01)、「元号」が平成より令和に変更になります。
この「元号」も中国王朝文化名残一つ。
現在、地球上で「元号」使用している国家は「日本」のみ。
「元号」はとても奥深い歴史・文化が背景に。
連チャン10日の元号変更祝休日に一考でも・・・・・。
次回、5/11からは「魏志倭人伝」読み解きます。 続く。

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