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2019年4月13日 (土)

陳寿(壽)父は馬謖に連座 674

ここで「三国志」好きの皆様に取って置きのお話を。
何と、陳寿(壽)の父は諸葛亮(孔明)が評価した「馬謖(ばしょく)」の
「参軍」をなさっていたのです。
*参軍・・将軍の幕僚。将軍を補佐する参謀。
三国志演義で有名な「泣いて『馬謖』を斬る」のあの馬謖さん。
*三国志演義・・「明」初期に書かれた三国時代を題材とした時代小説
*明・・1368~1644続いた明朝
諸葛亮(181~234)は
馬 謖(190~228)の才能・器量・力量をこよなく「愛し」ていました。
「三国志」ファンはよくご存じと思われますが、
呉と再同盟を結び東に憂い無く、南蛮を平定し背後防備をし、
いよいよ魏打倒で北伐に向かった時期になります。
その課程の戦いでの出来事「街亭の戦い(228年)」です。
*街亭・・現在の甘粛省天水市秦安県
張郃を将とする魏軍を迎え撃つ蜀軍の総大将に
魏延・呉懿・趙雲・鄧芝等々名だたる将軍が居並ぶ中、
諸葛亮は蜀の行く末を託したい馬謖を指名したのです。
総大将の馬謖は兵を率い進軍。
街亭に着くや馬謖は入城せず、山に陣を敷いて張郃を待ち構えます。
(諸葛亮の馬謖への指令は入城戦術)
この馬謖の作戦が功を奏せず、張郃軍の攻撃に耐えられず敗走。
馬謖は軍令違反で敗軍の将となってしまったのです。
諸葛亮は組織防衛の為、苦渋の選択、「泣いて『馬謖』を斬る」に。

三国志 蜀書 巻三十五 諸葛亮伝
「戮(馬)謖以謝衆」
三国志 蜀書 巻三十九 董和伝
「(馬)謖下獄物故 (諸葛)亮為之流涕」

董和伝では馬謖が獄死で、諸葛亮は「涕(涙)」を流した。
諸葛亮伝では馬謖を「戮(殺)」し衆目に謝罪した。
ここから、小説脚色「泣いて『馬謖』を斬る」では。
それはさて置き、
馬謖参軍、陳寿(壽)の父は連座、「髠(刑)」に処せられます。
*髠(刑)・・髪をカットされ禿げ(ヘッドスキン)にされる刑
現代ではとてもファッショナブル?になるのですが儒教世界では
体を傷つける事は以ての外、とても恥ずかしい事だった感じ。
しかし、命を取られなかったお陰で陳寿(壽)がこの世に登場できた
のですからこの程度の刑で良かったと思うのですが???
 続く。

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