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2019年3月 9日 (土)

三国志の著者 陳寿(壽) 669

魏志倭人伝を読み込む前に「三国志」の著者、陳寿(壽)について
先に触れます。
陳寿(壽)について記されているのは「晋書」に列伝として
取り上げられています。
取り急ぎ、「晋書 巻八十二 列伝五十二」

「陳寿 字承祚 巴西安漢人也 少好学 師事同郡譙周
 仕蜀為観閣令史 宦人黄皓 專弄威権 大臣皆曲意付之
 寿独不為之屈 由是屢被譴黜
 遭父喪 有疾 使婢丸薬 客往見之 郷党以為貶議
 及蜀平 坐是沈滞者累年 司空張華愛其才 以寿雖不遠嫌
 原情不至貶廃 挙為孝廉 除佐著作郎 出補陽平令
 撰蜀相諸葛亮集 奏之 除著作郎 領本郡中正
 撰魏吳蜀三国志 凡六十五篇 時人称其善叙事 有良史之才
 夏侯湛時著魏書 見寿所作 便壊己書而罷 張華深善之 謂寿曰
 当以晋書相付耳 其為時所重如此
 或云 丁儀丁廙有盛名於魏 寿謂其子曰 可覓千斛米見与
 当為尊公作佳伝 丁不与之 竟不為立伝
 寿父為馬謖参軍 謖為諸葛亮所誅 寿父亦坐被髠 諸葛瞻又軽寿
 寿為亮立伝 謂亮将略非長 無応敵之才 言瞻惟工書 名過其実
 議者以此少之
 張華将学寿為中書郎 荀勖忌華而疾寿 遂諷吏部遷寿為長広太守
 辞母老不就 杜預将之鎮 復薦之於帝 宜補黄散 由是授御史治書
 以母憂去職 母遺言令葬洛陽 寿遵其志 又坐不以母帰葬 竟被貶議
 初譙周嘗謂寿曰 卿必以才学成名 当被損折 亦非不幸也 宜深慎之
 寿至此 再致廃辱 皆如周言 後数歳 起為太子中庶子 未拝
 元康七年(297年) 病卒 時年六十五 梁州大中正尚書郎范頵等
 上表曰 昔漢武帝詔曰 司馬相如 病甚 可遣悉取其書
 使者得其遺書 言封禅事 天子異焉 臣等案
 故治書侍御史陳寿作三国志 辞多勧誡 明乎得失 有益風化
 雖文艶不若相如 而質直過之 願垂採録 於是詔下河南尹洛陽令
 就家写其書 寿又撰古国志五十篇盆都耆旧伝十篇 余文章伝於世」

「晋書 巻八十二 列伝五十二」の原文はこちらでご確認下さい。
(国立国会図書館 電子図書館蔵書
「六朝文人伝 : 『晋書』(巻八十二)陳寿伝)

こちらは、「佐藤利行」氏(広島大学 国際部 理事)の論述です。
原文、及び、訓読・通釈が記載されています。
 続く。

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