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2019年3月 2日 (土)

魏志倭人伝の書き出し 668

通称、「魏志倭人伝」原文を紹介しました。
ご覧頂いてない際は
「三国志魏書 魏三十(倭人伝)」-1
「三国志魏書 魏三十(倭人伝)」-2
「三国志魏書 魏三十(倭人伝)」-3  をご確認下さい。

魏志倭人伝は
この時代の「倭人・倭」に関し、膨大な資料になっています。
従って、古来より多くの方々が色々な解釈を施されています。
ただ如何せん、裏付けが取れない為、
どの解釈も「想像の範囲」に留まり確証を得られない状況が現実。
一番の論争点は未だに「邪馬壹国」の所在地。
続くは「邪馬壹国」の「壹」の読み方等々、不明な所ばかり。
しかしながら、この倭人伝は倭人の為に陳寿が記述して下さった訳
ではないのです。
あくまでも「三国志」は「魏・晋朝」の正統性を主張する為に
記述された皇帝公認の「正史」となる歴史書。
倭人伝は「三国志」のほんの一部でしかないのです。
但し、(前)漢書に比して「倭人」に関する分量が圧倒的に多いのも
事実です。
「(前)漢書地理志 燕地」で「倭人」を扱って下さった箇所は
「楽浪海中有倭人 分為百余国 以歳時来献見云」
(楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国となる。歳時を以て来た りて献見す)」
及び、もし「倭人」の事なら(陳寿が引用しています)
「(前)漢書地理志 粤(えつ)地」
「武帝元封元年(B.C.109) 
 略以為儋耳珠崖 民皆服布 如単被 穿中央為貫頭」
(これは後に触れます。)
だけなのです。
当時の漢人らにとっては「倭人」は
「東夷(とうい)」も「遠い」、「あづまえびす」に他ありません。
陳寿の「倭人伝」書き出しは
前記の「(前)漢書地理志 燕地」からの引用で
スタートしています。
「倭人在帯方東南大海之中 依山島為国邑 旧百余国 漢時有朝見者
 今使訳所通三十国」
前漢朝と魏・晋朝との時代の違いで楽浪(郡) ⇒ 帯方(郡)に
変化しているだけです。 続く。

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