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2019年1月26日 (土)

三国志魏書 魏三十(倭人伝)-1 665

三国志魏書 魏三十、通称、魏志倭人伝の原文です。
三回に渡り紹介します。取り急ぎ、お目通しを。

「倭人在帯方東南大海之中 依山島為国邑 旧百余国 漢時有朝見者
 今使訳所通三十国 従郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東
 到其北岸狗邪韓国 七千余里 始度一海 千余里至対海国
 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶島 方可四百余里 土地山険
 多深林 道路如禽鹿径 有千余戸 無良田 食海物自活
 乗船南北巿糴 又南渡一海千余里 名曰瀚海 至一大国 官亦曰卑狗
 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地
 耕田猶不足食 亦南北巿糴 又渡一海 千余里至末盧国 有四千余戸
 浜山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深浅 皆沈没取之
 東南陸行五百里 到伊都国 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚
 有千余戸世有王 皆統属女王国 郡使往来常所駐 東南至奴国百里
 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二万余戸 東行至不彌国百里
 官曰多模 副曰卑奴母離 有千余家 南至投馬国 水行二十日
 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五万余戸 南至邪馬壹国 女王之所都
 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支
 次曰奴佳鞮 可七万余戸 自女王国以北 其戸数道里可得略載
 其余旁国遠絶 不可得詳 次有斯馬国 次有已百支国 次有伊邪国
 次有都支国 次有彌奴国 次有好古都国 次有不呼国 次有姐奴国
 次有対蘇国 次有蘇奴国 次有呼邑国 次有華奴蘇奴国 次有鬼国
 次有為吾国 次有鬼奴国 次有邪馬国 次有躬臣国 次有巴利国
 次有支惟国 次有烏奴国 次有奴国 此女王境界所尽 其南有狗奴国
 男子為王 其官有狗古智卑狗 不属女王 自郡至女王国万二千余里」
 

三国志魏書 魏三十(倭人伝)の原文はこちらでご確認下さい。
国立国会図書館 電子図書館蔵書 「三国志魏書 魏三十」7行

 続く。

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2019年1月19日 (土)

明帝、燕王 公孫淵征討決意 664

遅ればせながら、
平成最後のお正月、明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。

それでは、昨年の続きです。
237年明帝は公孫淵の不穏な動きに「母丘倹(?~255)」将軍を
荊州(湖北省)刺史(長官)から幽州(北京)刺史に任命、東北方面軍、
及び、同盟を結ぶ、烏丸(桓)(うがん)・鮮卑の兵士らを組織、公孫淵
抹殺に向かわせます。       
公孫淵もこれに対し応戦体制。
この際、天が公孫淵に味方し大雨が続き、
母丘倹軍はやむなく撤退する羽目に陥ります。
これに気をよくした公孫淵は「燕王」を自称、魏より独立、孫権に秋波。
*烏丸(桓)
中国漢代、東部内モンゴリアのラオハ流域を根拠にしたモンゴル
‐ツングース系の部族。東胡の後裔(こうえい)。後漢末に一時強大に
なり、中国の北辺を脅かしたが、二〇七年魏(ぎ)の曹操(そうそう)に
滅ぼされた。
*鮮卑
古代北アジアの蒙古種に属する遊牧民族。五胡の一つ。匈奴の滅
亡により代わって蒙古を征し、二世紀半ばには大国となる。
(日本国語大辞典 小学館)
危機感を募らせた明帝は公孫淵征討を本気で決意。
ここで征討軍リーダーに起用されたのが西安に駐屯中の「司馬懿」。
238年夏、司馬懿は中央軍を率い東北へ向かい、母丘倹軍と合流。
遼河を渡り、公孫淵が籠もる遼陽城(現在の遼寧省)を包囲。
*遼河
中国、東北地区の南部を平野を貫いて流れる大河。
(日本国語大辞典 小学館)
ところが、又もや大雨の続く毎日。
しかし、司馬懿は準備万端、故に雨の上がりを待つ戦術に。
やがて、雨が止み地道に攻撃、季節は秋になり遼陽城は兵糧不足に。
兵の動揺を察知、
公孫淵は逃亡を図るもあえなく司馬懿軍に捕獲される顛末。
又、司馬懿軍の別部隊は既に楽浪・帯方郡を攻略、確保。
ここに、楽浪・帯方郡は公孫淵の手から離れ「魏」の施政化に。
いよいよ、正史三国志に「卑弥呼」さんが登場します。 続く。

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