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2018年11月24日 (土)

鬼道が 巴・漢中を制する 661

先週の「魏書八 張魯伝」をご覧下さい。
張魯は「鬼道」を以て民衆に教え諭した。
自ら「師君」と称す、初めての信者は「鬼卒」と。
信心深く道を会得する者は「祭酒」に。
信者を多く束ねる者は「大祭酒」になり、その集団の頭目に。
教義は「誠実」・「嘘偽り無し」。
病気になればその過ちを告白(キリスト教の懺悔?)。
張角の起こした黄巾賊(太平道)の考え方に似ている。
「祭酒」達は「義舍」を作り、
そこに「米肉(食料)」を備え遠くから来た信徒を収容。
食料は好きなだけ食べさせ、
食べ過ぎた者には「鬼道」がその者を病にしてしまうとか。
法を犯す者は「三原」(これ不明)、然る後に刑罰を与える。
役人を置かず、「祭酒」が治める為、「民夷」は楽ちんちん。
巴(現在の四川省東部と重慶市)・漢中に「雄拠」する事何と30年と。
と記述されています。
鬼道(五斗米道)=宗教集団結社が30年もの長期間に渡り
「神政国家」を営むとは驚き桃の木では。
この張魯率いる鬼道国家は後の魏の武帝「曹操」に恭順。(215年)
しかしながら曹操は張魯、及び、鬼道結社の力量に感心、
張魯の子息五子を「候」に取り上げ、更に張魯のお嬢さんを
ご自分の息子、「曹宇」のお嫁さんに迎えた程なのです。
貧するとついつい己の信じる道を進まず「宗教」に心身を委ねてしまう
この構造、既にこの時代に生まれていたのです。
それにしても恐るべし「鬼道」では。 続く。

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