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2018年10月 6日 (土)

董卓 洛陽着 小帝弁探索 654

前週と同様資料は「後漢書」 董卓列伝です。
189年4月孝霊帝死去に伴い長男、劉弁(少帝弁)17歳が帝位に。
ここで漸く董卓が動きます。
時の権力者、劉弁の母の義兄、何進(かしん)が宦官勢力排除計画に。
それを拒む、劉弁の母、何皇太后。
(何皇太后は宦官のお陰で霊帝のお后になれたお方なのですよ。)
何進は何皇太后に圧力をかける為、地方の将軍達を洛陽に召喚。
この命により董卓は軍を率い「洛陽」へ赴くのです。
董卓が洛陽に到着する前、
何進と宦官との策謀・交戦が早スタート。
この戦いで何進は逆に宦官達に殺害されてしまいます。
何進一派である司隷校尉の袁紹らは予定通り宦官達を抹殺します。
そして、その合戦最中、宦官の段珪が劉弁と彼の義弟、陳留王(劉協)
を宮中から救出・逃避するのです。
董卓軍は宮城に火の手が上がるのを見て城に急行。
洛陽に着くや否や董卓は情報収集。
董卓は
宦官の段珪が連れ出した劉弁(小帝弁)と陳留王(劉協)確保を優先、
彼らの探索に進軍。
董卓に追われた段珪はもはやこれまでと自刃。
やがて劉弁と陳留王を発見、収容、保護。
董卓軍は洛陽へ帰還。
その道すがら、
劉弁は恐怖に戦き泣きじゃくるも陳留王は事の次第を董卓に説明。
これを以て董卓は「(陳留)王為賢」と判断するのです。 続く。

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