董卓 洛陽着 小帝弁探索 654
前週と同様資料は「後漢書」 董卓列伝です。
189年4月孝霊帝死去に伴い長男、劉弁(少帝弁)17歳が帝位に。
ここで漸く董卓が動きます。
時の権力者、劉弁の母の義兄、何進(かしん)が宦官勢力排除計画に。
それを拒む、劉弁の母、何皇太后。
(何皇太后は宦官のお陰で霊帝のお后になれたお方なのですよ。)
何進は何皇太后に圧力をかける為、地方の将軍達を洛陽に召喚。
この命により董卓は軍を率い「洛陽」へ赴くのです。
董卓が洛陽に到着する前、
何進と宦官との策謀・交戦が早スタート。
この戦いで何進は逆に宦官達に殺害されてしまいます。
何進一派である司隷校尉の袁紹らは予定通り宦官達を抹殺します。
そして、その合戦最中、宦官の段珪が劉弁と彼の義弟、陳留王(劉協)
を宮中から救出・逃避するのです。
董卓軍は宮城に火の手が上がるのを見て城に急行。
洛陽に着くや否や董卓は情報収集。
董卓は
宦官の段珪が連れ出した劉弁(小帝弁)と陳留王(劉協)確保を優先、
彼らの探索に進軍。
董卓に追われた段珪はもはやこれまでと自刃。
やがて劉弁と陳留王を発見、収容、保護。
董卓軍は洛陽へ帰還。
その道すがら、
劉弁は恐怖に戦き泣きじゃくるも陳留王は事の次第を董卓に説明。
これを以て董卓は「(陳留)王為賢」と判断するのです。 続く。
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