三国志 最初の悪者 董卓登場 653
道教宗教結社の太平道・五斗米道が政府・地方政府に対し反乱を
起こすも政府軍に敢えなく潰されました。
但し、疲弊した状況は全く変わりません。
道教宗教結社軍に触発されたのか?状況変革の為、
次に立ち上がったのは各地方の軍人達だったのです。
しかし、彼らも軍隊の将軍達にいとも簡単に粉砕されます。
この結果、軍将軍の威勢が増すことになったのです。
ここら辺からは皆さん大好きな?「三国志」がフォローして下さいます。
黄巾の乱から5年後、
189年に後漢朝の都、「洛陽」でクーデターが生起。
このクーデターで漁夫の利を得たのが
地方軍担当将軍だった「董卓」(?~192)だったのです。
以下は「後漢書」 董卓列伝から
又、*は日本国語大辞典 精選版 小学館から
184年持節・東中郎将を拝命 黄巾賊、張角軍と戦い敗戦した為に罷免
*持節
(「節」は君主の命を受けた使者が授けられるしるし) 節とくに
節刀を持つこと。また、その人。あるいは、その任務
*中郎将
中国の官名。宮廷警固にあたる五官署・左署・右署の三署を管理
した。将軍に次ぐ位。秦代から宋代までつづいた。中郎
184年冬涼州(現在の甘粛省)で反乱が起き復職
185年破虜将軍 羌族との戦 董卓軍のみ無傷で扶風に駐屯 斄郷侯に
扶風(ふふう)郡(現在の陝西省宝鶏市一帯)
*羌族
中国西北辺境の山岳地帯に散在するチベット系遊牧民。漢代にしばしば中国内地へ侵入し、唐代には党項、白蘭の名称であらわれ、のち西夏国を建てた。
188年前将軍 漢陽郡王国討伐戦 少府拝命するも拒否、扶風に駐屯
*少府
古代中国の官名。漢代には、宮中の服御・宝貨・珍膳のことを
つかさどった。
189年并州(山西省の大部分と河北省・内モンゴル自治区の一部)牧に
任じられるもまたもや拒絶。
*牧
古代中国の九州の長官。転じて、地方長官。
朝廷の勅命(栄転)を2度も拒んだ董卓、中々気概がある人物では?
続く。
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