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2018年9月22日 (土)

五斗米道も反乱 後漢仏教摂取 652

太平道が蜂起した同じ年7月に「五斗米道(ごとべいどう)」の
張脩も地方政府に叛旗を翻し立ち上がります。
*五斗米道
中国、後漢末、張陵が蜀(四川省)で創始した宗教およびその教
団。病気の原因は当人の罪過にあるとして罪のあがないを説き、
祈祷による治療の謝礼に、米五斗(日本の五升)を出させた。後
漢末の動乱に乗じて多くの流民をあつめ、三代張魯のときには四
川から陝西省南部にかけて宗教王国を形成したが、215年魏の曹操
に降服した。しかし、その子孫は江西省の龍虎山に移り、
代々張天師を称した。張角の太平道とともに道教の源流とされる。
天師道。(日本国語大辞典 精選版 小学館)
一升=1.8ℓ。一升炊き炊飯器の5倍分のお米がお布施に。

「後漢書」 霊帝紀
「(184年)秋七月 巴郡妖巫張脩反 寇郡県」

只、こちらもその後の記述がないので即、制圧されたと思われます。
下々の民が生活苦に陥ると「宗教」にすがる構造です。
道教、及び、仏教が後漢のこの時期に興隆し始めたのです。

「後漢書」 西域伝
「世伝明帝夢見金人 長大頂有光明 以問群臣 或曰西方有神 名曰仏
 其形長丈六尺而黄金色 帝於是遣使天竺問仏道法 遂於中国図画形
 像焉 楚王英始信其術 中国因此頗有奉其道者 後桓帝好神 数祀浮
 図老子 百姓稍有奉者 後遂転盛」
楚王英=劉英(?~71) 光武帝のご子息 明帝は義兄
浮図(ふと)=仏画=仏陀

道教は中国製ですが、仏教は外来宗教。
仏教は明帝時代(在位57~75)に摂取され、彼の義弟、楚王英が信じ
始めた。その後、信者が増え、桓帝も仏陀を崇拝したことから民百姓
に至るまで信奉者が続出したと記されています。 続く。

後漢朝時代背景を確認する為に

01光武帝 (B.C6~57  帝位25~57) 即位31歳 在位32年
02孝明帝 ( 28~ 75 帝位 57~ 75) 即位30歳 在位18年
03孝章帝 ( 57~ 88 帝位 75~ 88) 即位19歳 在位13年
04孝和帝 ( 79~105 帝位 88~105) 即位10歳 在位17年
05孝殤帝 (105~106 帝位105~106) 即位01歳 在位100日程
06孝安帝 ( 94~125 帝位106~125) 即位13歳 在位19年
07少帝懿  正史で帝位否認    
08孝順帝 (115~144帝位125~144) 即位10歳 在位19年
09孝沖帝 (143~145帝位144~145) 即位02歳 在位5ヶ月程
10孝質帝 (138~146帝位145~146) 即位08歳 在位1年4ヶ月
11孝桓帝 (132~167帝位146~167) 即位14歳 在位21年
12孝霊帝 (156~189帝位168~189) 即位13歳 在位21年

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