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2018年9月15日 (土)

黄巾の乱 蒼天已死 黄天当立とは 651

今年3月某国営放送から
「中国王朝英雄たちの伝説
 『反逆者三国志の真相~黄巾の乱から曹操へ~』」と云うタイトルで
オンエアされました。
この中で太平道、張角が起こした「黄巾の乱」の標題キャッチコピー、
「蒼天已死 黄天当立」に対する新解釈を提案。
既存の解釈は
蒼天⇒後漢王朝 黄天⇒太平道 と準え圧政に苦しむ民百姓が
時の政権に叛旗を翻したと。
新解釈は
「黄巾の乱の原因は地球規模の異常気象?」とし
蒼天⇒青(蒼)い空 黄天⇒黄色い空 であるのではと。
181年タウポ火山帯(ニュージーランド北島)の巨大火山噴火に伴う
天候異変に依る凶作がもたらしたものと。
この提案を補う資料として「後漢書」 五行志・霊帝紀をピックアップ。
取り急ぎ178年から自然現象を表記した部分を取り出してみます。

「後漢書」 霊帝紀、及び、 五行志六
「(178年)光和元年春正月
  二月辛亥朔 日有食之 己未 地震(霊帝紀)
  夏四月丙辰 地震(霊帝紀)
  八月 有星孛(彗星)(霊帝紀)
  冬十月丙子晦 日有食之(霊帝紀)
  (179年)三月 京兆(京兆郡・・現在の陝西省西安市一帯)地震
  夏四月甲戌朔 日有食之(霊帝紀)
  (180年)秋 表是地震 涌水出(霊帝紀)
  冬閏月 有星孛(霊帝紀)
  (181年)光和四年二月己巳 黄気抱日 黄白珥在其表(五行志六)
  六月庚辰 雨雹(霊帝紀)
  九月庚寅朔 日有食之(霊帝紀)
  (182年)夏四月 旱(干ばつ)(霊帝紀)
  (183年)夏 大旱(霊帝紀)
  冬 東海 東莱 琅邪 井中氷厚尺余(霊帝紀)
  (184年)中平元年春二月 鉅鹿人張角自称黄天 其部師有三十六万
  皆著黄巾 同日反叛(霊帝紀)」

「霊帝時 日数出東方 正赤如血 無光 高二丈余乃有景
 且入西方 去地二丈 亦如之 其占曰 事天不謹 則日月赤
 是時月出入去地二三丈 皆赤如血者数矣(五行志六)」

上記内、太赤印4点を取り上げていました。
確かに、一番最初に指摘された例証には
「(181年)光和四年二月己巳 黄気抱日」
181年2月「黄色の大気が日(太陽)を覆う」と記載されています。
二番目に指摘された
「日数出東方 正赤如血 無光」
日出の際度々とても赤くて明るさがない。
こちらに関しては「霊帝時(168~189年)」とされており明確な年月日
が表記されておりません。
三番目と四番目は
「(181年)六月庚辰 雨雹」 雹(ひょう)が降る。
「(183年)冬 井中氷厚尺余」 井戸に厚い氷が張る。
これらの記述からニュージーランド北島にある181年の
タウポ火山大爆発による噴煙が全地球を覆い
空一面に長期間滞留する気象異変現象をもたらしたものではと。
(東京都立大学 理学博士 野上道男氏の説)
この噴煙の地球滞留期間はおよそ2年間程と説明されていました。
しかしながら、
181年9月1日の「日食」が目視されているのです。
黄色の大気が覆っていればこの気象現象は観測されない筈では?
この程度の雨雹・旱・大旱の発生は
「王政君崩御 地球寒冷化?」をご覧いただくと分かりますが
こちらの13年~15年の「新王朝」の方が激しかったです事よ。
それにしても、「黄気抱日」は若干気にかかります。 
大凶作・大飢饉・大重税はいつの世にも民の敵とするところ。 続く。

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