« 漢書 地理志 楽浪郡人口統計 648 | トップページ | 搾取される民 黄巾の乱へ 650 »

2018年9月 1日 (土)

107年倭国遣使奉献以降の後漢 649 

107年以降の後漢はどの様な展開を辿っていたのでしょう。
時代が安定期に入ると利権獲得闘争に明け暮れるのは世の常。
B.C.1920年頃長江・淮河流域にお住まいの方が河を遡り秦嶺山脈に
至り下舟、その北方の狩猟民・遊牧民と交易をし黄河南岸の洛陽盆地
に商業都市国家を設置したと云われる「夏王朝」成立以降2000年以上
経過し様々な紆余曲折を経て文化を育んできた、かの中国人は
「どうも人間不信感」に陥っている民ではないかと思われます。
*秦嶺(しんれい)山脈
中国、陝西省の太白山から、河南省の伏牛山脈まで、渭水と漢水
の間を東西に走る山地の名。広義には甘粛省南部の岷山から、安
徽省中部の大別山脈までをさし、淮河(わいが)とともに華北・華中
の境界となっている。最高峰は太白山(3767m)
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
「裏切りは当たり前」「昨日の友は今日の敵」等々。
この顕著の例は今はもうとうの昔で語られなくなった今年2月の冬季
五輪女子チームパシュートの戦い模様。
1900年に渡り中国文化の影響下にあった韓国チームの自分かっての滑
りと「人のことを慮る和を尊し」とする日本チーム女子団体との違い。
彼女らの栄光は「和文化の勝利」を云っても過言ではありません。
話を戻します。
利権獲得闘争ですが、
基本的に幼帝の際はその母及び外戚が権力を掌握しました。
しかし後漢以降、「宦官」が官職を得るようになり、彼らは専ら后・太后
に仕え、朝廷官吏と彼女らとのメッセージを取り成すようになります。
従って、外戚と宦官が利権獲得闘争のプレーヤーになったのです。
*宦官
中国で、貴族や宮廷の後宮に仕える去勢された男子。元来は宮刑に処せられた者を用いたが、王侯の側近となるため、去勢を志願する者もでた。西アジア、ローマ、ギリシアなどにもみられる。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)

「後漢書」宦者列伝
「中興之初 宦官悉用閹人 不復雑調他士 至永平中(58~75)
 始置員数 中常侍四人 小黄門十人 和帝(10歳)即祚幼弱
  而竇憲兄弟專総権威 内外臣僚 莫由親接 所与居者 唯閹宦而已    故鄭衆得專謀禁中 終除大憝 遂享分土之封 超登宮卿之位
  於是中官始盛焉」

因みに「史記」を執筆した「司馬遷」、「紙発明」の「蔡倫」も宦官です。
但し、司馬遷は刑罰で蔡倫は権力闘争に関わった宦官。
後漢以後の宦官は生殖器をカットすれば役職の道が開けます。
しかし、ご自身の子孫を残せないデメリットも伴います。 続く。

|

« 漢書 地理志 楽浪郡人口統計 648 | トップページ | 搾取される民 黄巾の乱へ 650 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 漢書 地理志 楽浪郡人口統計 648 | トップページ | 搾取される民 黄巾の乱へ 650 »