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2018年7月28日 (土)

後漢書 東夷列伝 「二郡」抹消 647

先週、「中国王朝正史」成立順が歴史順でないお話をしました。
「後漢書」よりも「三国志」が約150年程前に成立しているのですから
「後漢書」は「三国志」情報を書き写した事になるのです。
因みに、鉄を貨幣にしていた描写箇所

後漢書 東夷列伝
「国出鉄 濊倭馬韓並従巿之 凡諸貨易 皆以為貨」

魏書(志) 烏丸鮮卑東夷伝
「国出鉄 韓濊倭皆従取之 諸巿買皆用鉄 如中国用銭
 又以供給二郡」
国は鉄を出す。韓・濊・倭は皆従いてこれを取る。
諸々の市買にはみな鉄を用うる。中国が銭を用うるがごとく、
またもって二郡に供給す。

魏書(志)烏丸鮮卑東夷伝の方が後漢書東夷列伝よりも分量が大で
当然、情報量が多いです。
辰韓弁辰から産出される「鉄」を貨幣代わりにしている事実は
全く同じですが
「鉄」を「二郡」(帯方・楽浪郡)へも供給している事が記されています。
この「二郡」をわざわざ記載するご事情がきっとあったのです。
後書きの「後漢書」は後漢朝末期に出現する「公孫度・公孫康」が実質
「帯方・楽浪郡」を牛耳ましたので後漢朝の栄光に傷がつかないよう
抹消したと考えられます。
公孫度・公孫康一族に関しましては後に。

「中国王朝正史」執筆者達の「帝」に対する気遣い・忖度・思いやりが
とても感じられるところです。 続く。

ところで、暑い東京から暫し脱出、夏休みを頂きます。

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2018年7月21日 (土)

正史成立順 漢書⇒三国志⇒後漢書 646

この時代、倭国・倭人情報を得るにはどうしても「中国王朝正史」に
頼らざるを得ません。
商売を通して倭人・漢人・韓人との交流があった事は想像できますが
なにせ「文書」が「帝の栄光記述が建前」の「中国王朝正史」です。
どうしても彼ら彼女らからとって、
遙か海の向こうに住まう倭国・倭人情報を都合が良い処以外
敢えて記録する必然性はありません。
これまでの倭国・倭人情報は

漢書  成立82年頃(後漢朝)
一B.C.33~B.C.7頃 「楽浪海中有倭人 分為百余国 以歳時来献見云」
後漢書 成立432年頃(南朝の宋朝)
二 57年 「倭奴国王遣使奉献」
三107年 「倭国遣使奉献」

以上の三カ所のみです。
この次に登場するのは
131年後も待たなければならないのです。(年月表記に於いて)
それを記録してくれたのが「陳寿」執筆の「三国志」なのです。

三国志 成立279年(西晋朝)
四238年「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝献」

ここで皆さんお気づきなると思いますが
新朝末から後漢朝を記述した「後漢書」よりも
後漢朝末から西晋朝成立まで「三国志」が先に成立しているのです。

これ迄成立した「正史」
「史記」・「漢書」以降の
「後漢書」・「三国志」は残念ながら「断代史」なのです。
後漢書は後漢朝のみ、三国志は魏朝のみの記録しかないのです。
陳寿(233~279)は後漢朝末期以前の情報資料を見聞きしていたと
十二分に考えられます。
但し、記録は後漢朝からですので致し方ありません。 続く。

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2018年7月14日 (土)

正確な朝貢定義(岡田英弘氏) 645

岡田英弘さんの世界歴史事典(平凡社1955年)、朝貢に対する反論。
以下、彼の要点を記します。
1朝貢は「中国とそれをめぐるアジアの諸国あるいは諸部族」との間で
 行われるは誤り。欧米人でも手土産持参で、帝に挨拶に来る者は
 すべて朝貢使節。
2朝貢は中国という国と、外国または境外部族という団体との間で行 
 われるは誤り。国際関係の表現ではなく、その時の帝個人に対し、
 外国の君主や部族長が、個人的に敬意を表す手続き。
3中国の国内(地方長官)、国外を問わず、首都の地域外の実力者が
 帝に物を贈呈、支持表明行為が朝貢と呼ばれた。
4朝貢は中国に対する「形式的な服属関係」の表現は誤り。朝賀参列
 者は帝から独立した勢力の代表者である。朝貢とは、友好関係の表
 現であり、帝の支持者・同盟者であることを示すもの。
5朝貢を「実質的には特殊な形態の外国貿易であった」とする、「朝貢
 貿易」説は非常識な誤り。
 貿易が順調に推移する為には平和と友好が必要でそれを保証する
 為に、親善意志表明するのが朝貢。朝貢は朝貢、貿易ではない。

と、お美事に展開・反駁されています。
又、世界歴史事典、及び、東洋史学会の大間違いは
「中国の正史が、本音の事実を記述するのではなく
 皇帝の栄光を記述するのがたてまえ」と理解できていないからと。

岡田英弘さんはこの「中国正史(王朝の歴史書)」の建前記述の例
として同じ著書内「魏志倭人伝が『三国志』にある理由」で
論述されています。 続く。

*参考
「歴史とはなにか」 岡田英弘 (文春新書) P203~205

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2018年7月 7日 (土)

奉貢朝賀 奉献 通称「朝貢」とは 644 

57年 倭奴国奉貢朝賀、及び、107年倭国遣使奉献。
これらの「儀式」は通称、「朝貢」と命名されています。
*朝貢
諸侯や外国の使いが来朝して、朝廷に貢物をさし出すこと
(日本国語大辞典)と説明されています。
この朝貢は時の「帝」と「お土産持参朝賀参列者」との関係性。
この時代、「国民国家」・「帝政国家」と云う概念がない時代ですので
決して「中国」ではなく 『帝』⇔『参列者』の交流関係になります」。
帝は参列者から珍しいお土産を受け取りますが、
彼は自腹で「豪華お返しお土産」を用意、参列者に贈答します。
帝としては
彼に従う官僚、及び、軍人に対する示威行動。
(参列者からのお土産は皆さんに分け与え太っ腹を誇示とか)
参列者としては
圧倒的な軍事力・経済力を誇る帝との友好親善関係を結ぶ行為。
従って、奴国、及び、倭国使の費用負担関係は
楽浪郡役所迄の旅費は自腹、
それ以降の旅費宿泊費は招待側持ち、要はあご足付きって事に。
昨年他界された中国史権威「岡田英弘」さんの著書、
「歴史とはなにか」(文春新書)で「朝貢」を明確に定義されています。
以下引用します。P202~203
「朝貢は、実は、中国史を考えるとき、かなめになる、たいへんだいじ
 な観念なのだ。
 『朝』というのは、毎月きまった日に朝廷で行われる朝礼のことだ。
 『朝廷』というのは、文字通り、朝礼が行われる庭のことで、皇帝の
 宮殿の正殿のまえの広場が朝廷だ。
 『貢』という字は、『共』・『供』・『拱』と同じ意味で、両手で物持っ
 て捧げる様子をあらわしている。朝礼に出席して、持参した手土産
 を皇帝に捧げること、これが『朝貢』だ。」
更に、岡田さんは
「『朝貢』の意味は、現代の日本では、まったく誤解されている。誤解
 の原因は、主として、現代の中国人の政治的宣伝のせいだが、これ
 にまどわされた日本の東洋史学会では、朝貢をつぎのように定義
 するのがふつうだった。
 『東洋の古代、中世を通じて中国とそれをめぐるアジアの諸国ある
 いは諸部族との間に存在した朝貢という関係は、後者の前者に対す
 る形式的な服属関係ではあるが、実質的には特殊な形態の外国貿
 易であったので朝貢貿易ともいわれている・・・・・・』
 (『世界歴史事典』平凡社、1955年)
 これは、あまりにひどい間違いだ。」
と展開されています。彼の反論は来週に。 続く。

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