後漢書 東夷列伝 「二郡」抹消 647
先週、「中国王朝正史」成立順が歴史順でないお話をしました。
「後漢書」よりも「三国志」が約150年程前に成立しているのですから
「後漢書」は「三国志」情報を書き写した事になるのです。
因みに、鉄を貨幣にしていた描写箇所
後漢書 東夷列伝
「国出鉄 濊倭馬韓並従巿之 凡諸貨易 皆以為貨」
魏書(志) 烏丸鮮卑東夷伝
「国出鉄 韓濊倭皆従取之 諸巿買皆用鉄 如中国用銭
又以供給二郡」
国は鉄を出す。韓・濊・倭は皆従いてこれを取る。
諸々の市買にはみな鉄を用うる。中国が銭を用うるがごとく、
またもって二郡に供給す。
魏書(志)烏丸鮮卑東夷伝の方が後漢書東夷列伝よりも分量が大で
当然、情報量が多いです。
辰韓弁辰から産出される「鉄」を貨幣代わりにしている事実は
全く同じですが
「鉄」を「二郡」(帯方・楽浪郡)へも供給している事が記されています。
この「二郡」をわざわざ記載するご事情がきっとあったのです。
後書きの「後漢書」は後漢朝末期に出現する「公孫度・公孫康」が実質
「帯方・楽浪郡」を牛耳ましたので後漢朝の栄光に傷がつかないよう
抹消したと考えられます。
公孫度・公孫康一族に関しましては後に。
「中国王朝正史」執筆者達の「帝」に対する気遣い・忖度・思いやりが
とても感じられるところです。 続く。
ところで、暑い東京から暫し脱出、夏休みを頂きます。
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