正史成立順 漢書⇒三国志⇒後漢書 646
この時代、倭国・倭人情報を得るにはどうしても「中国王朝正史」に
頼らざるを得ません。
商売を通して倭人・漢人・韓人との交流があった事は想像できますが
なにせ「文書」が「帝の栄光記述が建前」の「中国王朝正史」です。
どうしても彼ら彼女らからとって、
遙か海の向こうに住まう倭国・倭人情報を都合が良い処以外
敢えて記録する必然性はありません。
これまでの倭国・倭人情報は
漢書 成立82年頃(後漢朝)
一B.C.33~B.C.7頃 「楽浪海中有倭人 分為百余国 以歳時来献見云」
後漢書 成立432年頃(南朝の宋朝)
二 57年 「倭奴国王遣使奉献」
三107年 「倭国遣使奉献」
以上の三カ所のみです。
この次に登場するのは
131年後も待たなければならないのです。(年月表記に於いて)
それを記録してくれたのが「陳寿」執筆の「三国志」なのです。
三国志 成立279年(西晋朝)
四238年「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝献」
ここで皆さんお気づきなると思いますが
新朝末から後漢朝を記述した「後漢書」よりも
後漢朝末から西晋朝成立まで「三国志」が先に成立しているのです。
これ迄成立した「正史」
「史記」・「漢書」以降の
「後漢書」・「三国志」は残念ながら「断代史」なのです。
後漢書は後漢朝のみ、三国志は魏朝のみの記録しかないのです。
陳寿(233~279)は後漢朝末期以前の情報資料を見聞きしていたと
十二分に考えられます。
但し、記録は後漢朝からですので致し方ありません。 続く。
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