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2018年6月 2日 (土)

光武帝 漢王朝復活 639

A.D.25年10月、漸く劉秀が31歳の御年で漢王朝を復活。
劉秀(B.C.6~57 帝位25~57)は後に「光武帝」と命名されます。
王莽の新王朝が途中でお邪魔したから漢王朝は分かりやすく
日本では「前漢」・「後漢」をされています。
以後、後漢は220年迄表面上続くことになります。
実質、184年「黄巾の乱」勃発後は空中分解状況に陥っています。
この時代頃より後を陳寿(233~297)の描いた「三国志」が
力強くフォローして下さっています。
それはさて置き光武帝時代に戻りと、
彼の時代に「後漢書 光武帝紀・東夷列伝」に於いて
「韓国」・「韓人」、及び、「倭」・「倭奴国」・「倭国」・「倭国王」
と云う記述が登場します。

光武帝紀
「(44年)秋 東夷韓国人 率衆詣 楽浪内附」
44年東夷の韓国の人が衆を率いて楽浪に詣って内附したと。
*内付・・・その国に来てつき従うこと。服属。(日本国語大辞典)

東夷列伝
「建武二十年(44)韓人廉斯人蘇馬諟等 詣楽浪貢献
 光武封蘇馬諟為漢廉斯邑君 使属楽浪郡 四時朝謁」
韓人で廉斯(れんし)の人である蘇馬諟(そばし)らが楽浪に詣って
貢献した。光武帝は蘇馬諟を封じて漢廉斯邑君(かんれんしゆうくん)
とし、楽浪郡に属せしめ、四時(季節毎に)に朝謁せしめたと。
但し、韓国・廉斯とも所在地は全く不明です。
*邑君は市(市場=いちば)長さん

この二つは同じ内容ではないかと思われます。 続く。

*『後漢書』 范曄(はんよう)(398~445)(南朝宋)成立432年以降
 「本紀」10巻、「列伝」80巻、「志」30巻の計120巻
 范曄は本紀と列伝のみ記述

尚、web上では
国立国会図書館 デジタルコレクション
「漢・韓史籍に顕はれたる日韓古代史資料」
「光武帝紀」P12 5行 「東夷列伝」P21 6行
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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