二つの中国 劉盆子・劉秀帝 637
先週、劉盆子による漢帝国が復活したと紹介しました。
ところがどっこい、再び、「二つの中国」が出現したのです。
最初の「二つの中国」は「二つの中国 王莽・劉玄帝」でご確認を。
ここで登場した三国志、劉備の祖先に当たる「劉伯升」。
彼の弟に「劉秀(B.C.06~57)」と云うお方が存在。
劉秀も兄、劉伯升と共に「王莽政権」打倒に立ち上がったお方です。
劉伯升はA.D.23年既に内ゲバにより殺害されこの世におりません。
劉秀も更始帝政権側から疎まれますが「河北」平定要因の為、
「河北」平定要員とされ命を繋ぐ結果に。
*河北・・・黄河の北側地区、現在の河北省
劉秀は伊予曲折を重ね河北を平定、部下から皇位要請され
A.D.25年皇帝に
「六月己未 即皇帝位 略
於是建元為建武 大赦天下 改鄗為高邑
是月 赤眉立劉盆子為天子」(後漢書 光武帝紀)
*鄗(県 前漢) ⇒ 高邑(県 後漢) 河北省の県名
「六月 遂立盆子為帝 自号建世元年」(後漢書 劉玄劉盆子列伝)
因みに先週お話しした「漢書王莽伝」では
「六月世祖即位 然後宗廟社稷復立 天下艾安」
皇帝 | 都 | 元号 |
劉盆子(赤眉軍) | 長安 | 建世 |
劉秀(緑林・舂陵軍) | 高邑県 | 建武 |
劉盆子、及び、劉秀の皇帝即位はどちらが先不明ですが
A.D.25年6月に両帝並立状態だった事は明らかです。
この時点では長安在住の劉盆子が格上?だった感じではないかと。
否、この時点では更始帝は生存していますので三帝並立状態やも。
続く。
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