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2018年3月17日 (土)

王政君崩御 地球寒冷化? 630

A.D.08王莽(53歳)は皇帝位禅譲と云う形を取り皇帝に。
実際は王莽による皇帝位簒奪の成功。(「新」王朝<A.D.8~23>)
ここに人身掌握に長け権謀術数を巡らした王莽は念願の最高位獲得。
この王莽の皇帝位簒奪に荷担したのは新しい世を望む
エッジーな科学的儒教主義官吏達だったのです。
偽善予言書まで作成したお方もいらっしゃったそうな。
王莽にとっては「我が世の春」を迎えます。
科学的儒教主義官吏達により帝位に祭り上げられた王莽は
遙か昔、周時代(西周の周公旦)を理想とし儒教主義政治改革を
断行します。
皇帝を神の代理とし天地の中心となし天下を治める改革は非現実的で
やがて民の不平不満を募らせます。
理想を求め、現実(現場)を直視しない政策は破綻すること必定。
王莽、皇帝になって5年後
長期間に渡り王莽の後ろ盾を担った叔母、王政君=元皇后
A.D.13/5月に崩御してしまいます。(月文母皇太后とても長命享年84歳)
A.D.13/11月20日余り彗星が出現したとか。
「十一月彗星出二十余日不見」(漢書 王莽伝)以後「」は漢書 王莽伝
A.D.14/1月改元に伴い恩赦「天鳳元年正月赦天下」
A.D.14/3月末日食により大恩赦
「三月壬申晦日有食之大赦天下」
A.D.14/4月初夏に霜が降りる
A.D.14/6月晩夏に黄色い霧が発生
A.D.14/7月初秋に大風・雹(ひょう)が降る
「四月隕霜殺屮木海瀕尤甚六月黄霧四塞
 七月大風拔樹飛北闕直城門屋瓦雨雹殺牛羊」
これだけ異常現象・天候不純が立て続けに起きると
かの時代人心不安に陥り王莽の「徳」が疑われる事に。
「君の名は」を思わせる「彗星」、地球寒冷化だったのかしら
A.D.15/2月日中に星が見えた?とか。
「二年二月置酒王路堂公卿大夫皆佐酒大赦天下
 是時日中見星」
A.D.16/2月春に地震・大雨雪が降る
「三年二月乙酉地震大雨雪関東尤甚深者一丈竹柏或枯」
*関東・・・この時代は函谷関より東側
A.D.16/7月長安城の門の一つが罹災 7/末日食により大恩赦
「七月辛酉霸城門災民間所謂青門也 戊子晦日有食之大赦天下」
王政君=元皇后の崩御後、なぜか地球寒冷化現象が頻発、
これにより農産物生産・収穫に甚だ支障を来す状況へ。 続く。

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