前漢末 儒教一世風靡 628
楽浪海中有倭人と「漢書 地理志」に記載された時代の中国王朝は
元帝(B.C.74~B.C.33 在位B.C.48~B.C.33)
成帝(B.C.51~B.C.07 在位B.C.33~B.C.07)母は王政君(王莽の叔母)
元帝は大の「儒教」好きで父の
宣帝(B.C.91~B.C.48 在位B.C.74~B.C.48)に
「我が家を乱すものは太子(儒教好き元帝)なり」と嘆かせたとか。
この時期の儒教は神秘的災異(神の災い)思想が流行。
元帝はそれにどっぷり填まった模様。
注 儒教と儒家(者)とは異なります。
前漢末に「儒教」が一世風靡したのです。
今の山東省南西部の町、曲阜(きょくふ)=孔子生誕地に
教団本部があり、彼の地で勉学に励み官吏に登用された信者の寄進
により成り立っていた教団。
戦争がない太平の世が長く続いた為、
彼らにも下級・中級官吏の道が開け、
更に、前漢最末期には高級官吏になる者も現れたとか。
そして、この儒教が政変に大きく関わる事となるのです。
日本に於ける「仁・義・礼・智・信」を重んじる「儒学」とは全く異なり
かの時代の「儒教」は天文(暦)・数学を取り入れ、
先端を走る・エッジーな科学的儒教主義の呈だったとか。
武帝時代、天人相関説を唱え儒家思想を国学とするよう武帝に提案
した董仲舒の災異説を発展?させた「讖緯(しんい)説」が流行。
*天人相関説・・・自然現象と人間は相互影響があると云う思想
*讖緯説・・・陰陽五行説・日月五星の運行などにより未来を占う術
(日本国語大辞典 精選版)
未来予想はロマン溢れますが未来予言は胡散臭さが漂います。
未来託宣はとても非科学的と思われますが、
それは現代に生きとし生けるものの下世話な考え、
かの時代、
文字を読み書きできる人はほんの一握りのお方だけだったのですもの
儒教主義の方々をとっても「凄い」と思われたのでしょう? 続く。
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