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2018年2月24日 (土)

楽浪海中有倭人 分為百余国 627

B.C.106武帝(B.C.156~B.C.87)の影響が及ぶ地域を13州に分割設定
現在の西から河北省 北京市 天津市 遼寧省地域は
「幽州(ゆうしゅう)」とされ
燕国 涿・広陽・代・上谷・漁陽・右北平・遼西・遼東・玄菟・楽浪郡の
10郡1国に。(郡国制)(燕国は封建国)
しかし、武帝の長期間の行け行けどんどん政策により財政状況が悪化
武帝を引き継いだ昭帝(B.C.94~B.C.74 在位B.C.87~B.C.74 )時代、
緊縮財政策を取らざるを得ず
B.C.82真番郡・臨屯郡の撤退・廃止 両郡の一部は楽浪郡に編入。
それ迄、倭人商人は真番郡のお役人と接触していたと思われますが
これ以後、楽浪郡と折衝を重ねる事になります。
更に、
B.C.75玄菟郡も縮小、西方へ後退
この玄菟郡の軍司令部(役所)が「高句驪(麗)県」にあったとか。
玄菟軍管区の撤退に伴い、やがてこの地域にお住まいの長(おさ)が
高句麗県役所を占拠し「高句麗(王国)」としたそうな。
これら、3軍管区の撤去により
朝鮮半島には楽浪郡(漢軍管区)のみになってしまうのです。
更に、時が進みB.C.20年代頃の倭国・倭人情報について
「漢書 地理志」に有り難いことに記述してあるのです。
*『漢書』 班固(32~92) 前漢~王莽
 「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻の計100巻
 班固未完の表8巻と天文志は妹の班昭が執筆完成。

然東夷天性柔順
異於三方之外
故孔子悼道不行
設浮於海
欲居九夷
有以也夫
楽浪海中有倭人
分為百余国
以歳時来献見云

楽浪郡の海の遙か沖合に「倭人」が住んでいて
百以上の商業都市国家があり、それらの方々が楽浪郡の郡役所に
お目見えしていたとの事です。 

注 都市は「市場(いちば)があり、みんなが集まる所」です。

続く。

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2018年2月17日 (土)

戦乱中 商人(華商)・難民避難 626

たいへん、遅ればせながら、時季外れの「明けオメ」です。
皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と思います。
ちょいと、海外出張をしておりました。
既に「梅は咲いたか桜はまだかいな」の季節になりましたが
今年も、相変わらず、宜しくお願いつかまつります。

それでは、昨年からの続きです。
秦の天下統一~秦打倒反乱軍決起~漢の再天下統一の間
戦禍を逃れ、商人(華商)・民(たみ)は安寧の地?へ非難・移動します。
敗戦国の武将らも戦勝国の軍門に降るか、或いは、逃亡を企てます。
秦・漢王朝時代の北東に位置した「燕(封建国)」。
燕滅亡後、B.C.195年に燕の将軍、衛満は朝鮮半島北部へ逃走。
やがて衛満は逃亡者を組織し朝鮮半島北部を制圧、リーダーに。
衛満は漢王朝の支配の及ばない地域故に、半ば、なし崩し的に、
今の平壌(ピョンヤン)を王都とし朝鮮王となったとか。
(史記 朝鮮伝)
差し詰め、戦乱中「武将・商人・民の大移動」が起きたと想像できます。
しかし、どの様な実態であったのかは全く考えが及びません。
前漢王朝期、武帝時代が一番、国力・経済活動が充実していたと
云われています。
武帝時代はB.C.141~B.C.87、
この間、武帝の軍事経済支配力が増長。
B.C.128朝鮮半島北部に蒼海郡を設置(漢書 武帝紀 B.C.126廃止)。
B.C.108朝鮮王となった衛満の末裔も武帝軍により滅ぼされています。
そして、征服地に武帝は皆さん聴き馴染みのある
楽浪郡と真番郡・臨屯郡・玄菟郡、通称「漢四郡」を設置します。
(B.C.108)<史記 朝鮮列伝 漢書 武帝紀>
(漢書 地理志ではB.C.107玄菟郡設置に)
「郡」は軍管区で軍隊の管轄区域。
但し、こちらの四郡の地域が未だ特定されていません。
漢が朝鮮半島北部を侵略(支配下に)したのですから
現在に及ぶ微妙な問題が生じますので余り深入り致しません。 
この武帝軍の席巻でこの地域にお住まいの方々も散り散りに。
  続く。

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