楽浪海中有倭人 分為百余国 627
B.C.106武帝(B.C.156~B.C.87)の影響が及ぶ地域を13州に分割設定
現在の西から河北省 北京市 天津市 遼寧省地域は
「幽州(ゆうしゅう)」とされ
燕国 涿・広陽・代・上谷・漁陽・右北平・遼西・遼東・玄菟・楽浪郡の
10郡1国に。(郡国制)(燕国は封建国)
しかし、武帝の長期間の行け行けどんどん政策により財政状況が悪化
武帝を引き継いだ昭帝(B.C.94~B.C.74 在位B.C.87~B.C.74 )時代、
緊縮財政策を取らざるを得ず
B.C.82真番郡・臨屯郡の撤退・廃止 両郡の一部は楽浪郡に編入。
それ迄、倭人商人は真番郡のお役人と接触していたと思われますが
これ以後、楽浪郡と折衝を重ねる事になります。
更に、
B.C.75玄菟郡も縮小、西方へ後退
この玄菟郡の軍司令部(役所)が「高句驪(麗)県」にあったとか。
玄菟軍管区の撤退に伴い、やがてこの地域にお住まいの長(おさ)が
高句麗県役所を占拠し「高句麗(王国)」としたそうな。
これら、3軍管区の撤去により
朝鮮半島には楽浪郡(漢軍管区)のみになってしまうのです。
更に、時が進みB.C.20年代頃の倭国・倭人情報について
「漢書 地理志」に有り難いことに記述してあるのです。
*『漢書』 班固(32~92) 前漢~王莽
「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻の計100巻
班固未完の表8巻と天文志は妹の班昭が執筆完成。
然東夷天性柔順
異於三方之外
故孔子悼道不行
設浮於海
欲居九夷
有以也夫
楽浪海中有倭人
分為百余国
以歳時来献見云
楽浪郡の海の遙か沖合に「倭人」が住んでいて
百以上の商業都市国家があり、それらの方々が楽浪郡の郡役所に
お目見えしていたとの事です。
注 都市は「市場(いちば)があり、みんなが集まる所」です。
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