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2018年2月17日 (土)

戦乱中 商人(華商)・難民避難 626

たいへん、遅ればせながら、時季外れの「明けオメ」です。
皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と思います。
ちょいと、海外出張をしておりました。
既に「梅は咲いたか桜はまだかいな」の季節になりましたが
今年も、相変わらず、宜しくお願いつかまつります。

それでは、昨年からの続きです。
秦の天下統一~秦打倒反乱軍決起~漢の再天下統一の間
戦禍を逃れ、商人(華商)・民(たみ)は安寧の地?へ非難・移動します。
敗戦国の武将らも戦勝国の軍門に降るか、或いは、逃亡を企てます。
秦・漢王朝時代の北東に位置した「燕(封建国)」。
燕滅亡後、B.C.195年に燕の将軍、衛満は朝鮮半島北部へ逃走。
やがて衛満は逃亡者を組織し朝鮮半島北部を制圧、リーダーに。
衛満は漢王朝の支配の及ばない地域故に、半ば、なし崩し的に、
今の平壌(ピョンヤン)を王都とし朝鮮王となったとか。
(史記 朝鮮伝)
差し詰め、戦乱中「武将・商人・民の大移動」が起きたと想像できます。
しかし、どの様な実態であったのかは全く考えが及びません。
前漢王朝期、武帝時代が一番、国力・経済活動が充実していたと
云われています。
武帝時代はB.C.141~B.C.87、
この間、武帝の軍事経済支配力が増長。
B.C.128朝鮮半島北部に蒼海郡を設置(漢書 武帝紀 B.C.126廃止)。
B.C.108朝鮮王となった衛満の末裔も武帝軍により滅ぼされています。
そして、征服地に武帝は皆さん聴き馴染みのある
楽浪郡と真番郡・臨屯郡・玄菟郡、通称「漢四郡」を設置します。
(B.C.108)<史記 朝鮮列伝 漢書 武帝紀>
(漢書 地理志ではB.C.107玄菟郡設置に)
「郡」は軍管区で軍隊の管轄区域。
但し、こちらの四郡の地域が未だ特定されていません。
漢が朝鮮半島北部を侵略(支配下に)したのですから
現在に及ぶ微妙な問題が生じますので余り深入り致しません。 
この武帝軍の席巻でこの地域にお住まいの方々も散り散りに。
  続く。

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