捲土重来 項羽(杜牧 哀惜)2 622
ここで、「史記 項羽本紀」を確認してみます。
且籍與江東子弟八千人渡江而西
今無一人還
縦江東父兄憐而王我
我何面目見之
縦彼不言
籍獨不愧於心乎
(史記 項羽本紀原文 烏江)
訓読してみます。
且つ籍(項羽)は江東の子弟八千人と江を渡りて西せしも
今一人の還るもの無し
縦(たと)え江東の父兄憐れみて我を王とするも
我何の面目ありてかこれに見(まみ)えん
縦え彼言わずとも
籍独り心に愧じざらんや
そしてZIPANGU風、訳は
「以前私は江東の若者達8,000人を引き連れこの長江を渡り西へ進軍。
しかしながら、今、彼らはここに誰一人としていない。
たとえ彼らの親・兄が私を憐れみ王とし迎えても、
私はどの面(つら)下げて遺族に会う事ができようか。
たとえ悲しみに暮れる遺族らが私に何も云わないとしても
私は悪いことをしたと思って心に痛みを感じているんじゃよ。」
杜牧は先週、孫子に「注」を加えた兵法家と紹介しました。
因みに、彼は孫子の冒頭、「孫子曰兵者國之大事」に対し、
「杜牧曰傳曰國之大事在祀與戎」と「注」を入れています。
彼は、国の大事を「祀(祭祀)と戎(戦)」としています。
只、これは彼のオリジナルではなく「春秋左氏伝」からの引用。
(春秋左氏伝は作者・制作年は未定ながらB.C.年間に記述された物)
そして、兵法家である杜牧が「孫子」を踏まえ、詩人として「項羽」を
哀惜するのです。
題烏江亭原文 訓読
勝敗兵家事不期 勝敗は兵家も事期せず
包羞忍恥是男兒 羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
江東子弟多才俊 江東の子弟に才俊多し
卷土重來未可知 捲土重来未だ知る可からず
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