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2017年11月11日 (土)

捲土重来 項羽(杜牧 哀惜)1 621

項羽の壮絶な最期に、とても哀れみ惜しんだ方がおられます。
そのお方は晩唐に生を受けた「杜牧(803~852)」さん。
彼の生き様にはとっても共感を覚えます。
暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に十二分に恋したかと思えば、
乙女まで、即、好きになり親御さんに婚約をお願いしちゃった方。
又、一方、彼は「宋本十一家注孫子」のお一人なのです。
以前お話しした、孫武の「孫子」に「注」を加えた御仁です。
「『孫子』兵法 少しだけ 1 」
現存する「孫子」は1972年発見された孫武の竹簡とそれを基として
製本された「銀雀山漢墓竹簡・孫子兵法」しかありません。
それまで、
書物での一番古い「孫子」は「魏武帝(曹操)註孫子」でした。
宋本十一家注者の内訳は
01 曹操(後漢)(155~220)
02 孟氏(梁)
03 李筌(唐)
04 杜佑(唐)(735~812) 「通典(つてん)」
05 杜牧(唐)(803~852)
06 陳皥(唐)
07 賈林(唐)
08 梅堯臣(宋)(1002~1060)
09 王皙(宋)
10 何延錫(宋)
11 張預(宋)
上記の方々が「孫子」に「注」を加えたとの事です。
杜佑は杜牧のお爺さん。
杜牧は女性たら(誑)しでもあり、兵法家でもあったのです。
否、それだけではないのです。
なな、何と彼は「文人」でもあったのです。
とても素敵なお方でしょう。
今時、中学校で漢文授業がありわらのなりひら?
旧時、中学校にて漢文授業、「漢詩」では必須、
杜牧の超有名な「七言絶句」で「烏江亭」が詠まれているのです。

題烏江亭

勝敗兵家事不期
是男兒
江東子弟多才俊
卷土重來未可知

この詩が「捲土重来(けんどちょうらい)」の出典先に。 続く。

余談ですが、「暗鬼紅灯」についてZIPANGUスタッフのお爺さんに
教えていただいちゃいました。(北大 v.s. 樽商 対面式等)
「北大 水産放浪歌」口上にこのフレーズがあるとの事。
紹介しちゃいますね。
「富貴名門の女性に恋するを純情の恋と誰が云うぞ
 暗鬼紅灯の巷に彷徨う女性に恋をするを不情の恋と誰が云うぞ
 雨降らば雨降るもよし風吹かば風吹くもよし
 月下の酒場にて媚を売る女性にも純情可憐なる者あれ
 女の膝枕にて一夜の快楽を共に過さずんば
 人生夢もなければ恋もなし
 響く雷鳴 握る舵輪 睨むコンパス六分儀
 吾等海行く鴎鳥 さらば歌わん哉
 吾らが水産放浪歌」ってな感じ。
序でに歌も
「心猛くも鬼神ならず
 男と生まれて情はあれど
 母を見捨てて浪越えて行く
 友よ兄等よ何時また会わん

 朝日夕日をデッキに浴びて
 続く海原一筋道を
 大和男子が心に秘めて
 行くや万里の荒波越えて

 浪の彼方の南氷洋は
 男多恨の身の捨てどころ
 胸に秘めたる大願あれど
 行きて帰らじ望みは持たじ」

ここまで来ると、片手落ちにならないように小樽商大の歌も。
「若人逍遙の歌」
「琅玕融くる緑丘の
 春曙を逍遙へば
 浪漫の靄に街沈み
 風悠久の言葉あり
 瀾朶の桜吹雪きつつ
 慌しくも逝く春の
 伝統古き学舎に
 展ける海のは果てしなき

 夏白樺に囁きて
 ハイネの歌を口踊さむ
 見目麗しき眼差しの
 又なき時のいとほしさ
 断崖落ちて浪くだけ
 オタモイ遠く帆走れば
 オタルの嶺々の夕茜
 冴ゆる北斗に嘯きぬ

 秋粛条の思い濃き
 ポプラにかかる雲消えぬ
 流転の行旅夢に似て
 悩みの思惟を誰か知る
 感傷嗤うことなかれ
 桜ヶ丘に佇みて
 泪滂沱と憂愁の         
 落葉の行方哲うかな   

 氷雪海に傾きて
 月寒ければ紐解かむ
 海冥行路遠けれど
 われに港の乙女あり
 流星落ちて影もなし
 逝く青春の足音に
 命を惜しむ若人は
 永劫の杯酌まんとす」

北大・樽商との交流で必ず歌われていたそうです。
哀愁・ロマン・男らしさ溢れる「詩」に思わず感激!
只、今となっては昔のお話し故、不確かとの事でした。

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