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2017年9月30日 (土)

劉邦vs.項羽 鴻門の会 615

秦打倒旧楚反乱軍別働隊劉邦軍は手薄な武関を突破、
迫る来る秦軍を打倒、秦の首都、咸陽の目前まで達します。
もはやここ迄と判断した秦は降伏、
本部隊項羽軍より先に劉邦軍は咸陽へ入城したのです。
秦首都、咸陽の宮殿には目が眩むほどの金銀?財宝、
それはそれは美しすぎる女性達に根が遊び人の劉邦は
心時めきウハウハ気分。
ところがどっこい、軍師の張良らが浮かれる劉邦を制止、
劉邦は遊び心をしぶしぶ?押さえ込んだのです。
一方、本部隊項羽軍は鉅鹿の戦いに勝利を収め高揚、
一気に函谷関へ味方を増やし膨れあがった軍を進めます。
函谷関の位置は「劉邦は武関 項羽は函谷関」こちらで。
圧倒的な軍事力を保持する項羽軍はいとも簡単に函谷関に到着。
しかし、そので目に入ったのが何と味方で別働隊劉邦軍の旗印。
更に、劉邦軍が咸陽を征圧した情報。
又、混乱に乗じて小金を得ようとする不埒な輩の讒言、
「劉邦は宝物・美女をゲットし王位を簒奪しようとしていますぜ。」
等々に直情径行型の項羽は怒り心頭。
函谷関を突破、劉邦軍を打倒せんと咸陽へ一目散、怒濤の進撃。
当然、この項羽軍情報は劉邦に届きます。
色んな方々の介添えを受け、
劉邦は項羽に状況釈明と詫びを入れる為
項羽軍の陣地に於いて会見する決断をします。
(劉邦は項羽に抹殺される事を辞さない覚悟)
これが世に云う「鴻門(こうもん)の会」(B.C.206)(史記 項羽本紀)
鴻門は地名、咸陽よりやや北東で現在の西安市臨潼県東部。
会見後、劉邦取り巻きのお陰で命かながら劉邦は項羽軍の陣地より
脱出に成功したとの事。(後漢書 斉武王伝)
項羽は不本意ながらも劉邦を赦免した状況に。
その後、項羽は咸陽へ入り、
始皇帝末裔一族を抹殺、
金銀?財宝を搾取、咸陽を焼失させたのです。 続く。

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