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2017年8月26日 (土)

項羽 孫子兵法 鉅鹿の戦いに活用 610

残暑お見舞い申し上げます。

それでは、前回からの続き。
秦打倒旧楚反乱軍本部隊項羽軍を「鉅鹿の戦い」に勝利導いたのは
「孫子」の兵法のお陰?でした。彼は「孫子」を学んでいた感じです。
兵力(数)が圧倒的勝る秦章邯軍に対し、
項羽軍は舟で黄河を渡った後、その舟を破壊し黄河に沈め
僅か3日分の食糧を確保後、炊飯道具(鍋釜類)を棄却し
士卒に決死の覚悟をさせ戦いに挑み勝利を掴んだのでした。
(史記 項羽本紀に上記の趣きで記載)
            
*孫子は孫武(春秋時代B.C.515?)作 
 (1972年銀雀山漢墓出土で竹簡発見に依り確定)
*史記は司馬遷(前漢B.C.91?)執筆の歴史書
*魏武帝(曹操)註孫子 曹操が孫子に補注したもの
*曹操(後漢末期の武将A.D.155~220)は三国志で超有名なお方

鉅鹿の位置はこちらでご確認ください。
「項羽 鉅鹿の戦いに勝利」
銀雀山漢墓(中国山東省臨沂県)の位置をグーグルアースで確認。

銀雀山漢墓(中国山東省臨沂県)

(画像クリックで拡大します。)

この士卒に「決死の覚悟」をさせる兵法を教え諭した「孫子」

故善用兵者譬如率然       
率然者常山之蛇也    
撃其首則尾至   
撃其尾則首至   
撃其中則首尾倶至    
敢問             
可使如率然乎   


夫呉人與越人相惡也
當其同舟濟而遇風
其相救也如左右手
是故方馬埋輪未足恃也
齊勇若一政之道也
剛柔皆得地之理也
故善用兵者手若使一人不得已也

国立国会図書館 電子図書館蔵書 「魏武帝註孫子 九地篇」 8行)

そこで戦いに巧みな人はたとえば率然のようである。
率然というのは常山にいる蛇のことである。
この蛇は頭を撃つと尾が助けに来る
尾を撃つと頭が助けに来る
腹を撃つと頭と尾がいっしょになってかかってくるのである。
ある人がきいた。
「ではおたずねするが、
 軍も率然のような具合に動かすことができようか。」
孫子は答えた。
「いうまでもない」。
いったい、呉の人と越の人とはたがいに憎みあう仲であるが
同じ舟に乗りあわせて川を渡るとき、大風に襲われたなら、
彼らはちょうど左右に手によって助けあうものである。
こうゆうわけで、馬をならべてつなぎ、車輪を土の中に埋めて陣固めを
したところで、そのような防御はしょせん頼りにはならない。
いちように勇敢な軍隊に結束させるのは、
軍制の運用によることである。
剛強な者も、柔弱な者も、ひとしく力を出し尽くすようにさせるのは、
地勢の道理によることである。
だから、戦いに巧みな人は、手にとって一人の人間を動かすように、
軍を自在にあやつるが、
それは軍隊を戦うしかない状況におくからである。
(「孫子」 町田三郎訳注 中公文庫 p86)

「呉越同舟」、四文字熟語の出典元です。 続く。

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