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2017年7月22日 (土)

劉邦登場 張良との邂逅 608

ここで、新たなこちらも超有名武将を登場させなければなりません。
そのお方は劉邦(りゅうほう)(B.C.256 or 247~B.C.195)。
彼の出身地は項羽と同じ旧楚の沛県豊邑(江蘇省徐州市豊県)。
位置関係を又、グーグルアースで確認。

沛県

(画像クリックで拡大します。)

劉邦は項羽とは違い元々武将の出ではありません。
彼は人望があり張ったりが利く遊び人だったされています。
B.C.209陳勝・呉広の乱勃発の時点で劉邦は沛県の役人。
出張中の劉邦に反乱軍結成の伝令が飛びます。急遽帰郷。
やや紆余曲折があるも、
劉邦は秦に抗する旧楚沛県反乱軍の頭目に(沛公)。
只、如何せん小商業都市沛県ゆえ組織兵士は僅かな手勢。
秦軍に与する敵との闘いは一進一退。一方、陳勝は敗死。(B.C.208)
しかしながら、この最中、後に劉邦の軍師で政治指南役となる
「張良」(?~B.C.186)との邂逅があったのです。
張良の父と祖父は旧韓の宰相(天子を助けて政治執行官)の職を
勤めた家柄。
秦によって祖国、韓を滅ぼされた(B.C.230)張良は始皇帝暗殺を
試みるもあえなく失敗。逃亡者に。
旧楚の下邳(かひ)(江蘇省邳州市)に身を隠します。
位置関係を又々、グーグルアースで確認。

下邳

(画像クリックで拡大します。)

やがて張良は旧楚沛県反乱軍頭目、劉邦に出逢い反乱軍に参加。
劉邦軍は張良を加え秦打倒を目指す事になるのです。 続く。

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