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2017年6月24日 (土)

意思疎通不能の秦燕趙斉魏韓楚 604

秦の始皇帝が「支那(China)大陸」を統一した際、
現在、「中華人民共和国」に組み入れられている
北方地域の
「黒竜江省」「吉林省」「内モンゴル自治区」「寧夏回族自治区」
「甘粛省」
中程西地域の
「青海省」「新疆ウイグル自治区」「チベット自治区」
南方地域の
「貴州省」「雲南省」
「福建省」「広東省」「広西チワン族自治区」「海南省」
は彼の支配下(影響下)におかれていません。
ましてや、「中華人民共和国」が「一つの中国」と主張する
「台湾」は「海南省(海南島)」より「支那(China)大陸」から
海の彼方になりますのでかの時代全く無視された地域だったのです。

ところで、始皇帝は確かに「漢文字統一」を行いましたが
話語は統一できませんでした。
と云うよりも現在でも「北京語」「上海語」「福建語」「広東語」等々が
あり、話し言葉では互いに「意思疎通」が不可能との呈。
始皇帝が黄河・渭水・淮河・長江に跨がる秦は当然として
燕・趙・斉・魏・韓・楚に住まう方々は互いに会話が成立しない状況で
あったのです。
否、各地域の住民は隣国へ行く必要性がなかったのです。
故に、
各地域毎では各々の話語で全く意思疎通に問題がなかったのです。
何せ飛行機も電車も車もなかった時代ですから。 続く。

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2017年6月17日 (土)

B.C.221 秦の始皇帝 文字書体統一 603

およそ「◯◯人」という云い方は無意味なのかも知れません。
その無意味さを確認する為とても無謀ですが、
お隣韓半島を含むユーラシア大陸の東側地域を概観してみます。
キリスト文化に感化された日本ですので時代区分は
「キリスト紀元歴(西暦)」で表記します。
因みに今年は2017年ですが元号で記される公文書は
平成29年(2017年)と記す約束事があるとの事。
それでは
「China(英米語)<チャイナ>」の語源である「秦(しん)」の始皇帝が
他の支那(しな)大陸6ヶ国を制圧統一した
B.C.221年からスタートします。
秦、及び、他の6ヶ国領域を文字で表現すると(北⇒南 西⇒東 順)

    趙(ちょう) 黄河上流 燕(えん) 永定河中流
秦(しん) 渭水 魏(ぎ) 黄河中流 斉(せい) 黄河下流
秦(しん) 渭水 韓(かん) 淮河上流 楚(そ) 淮河中下流
秦(しん) 漢江中上流 楚(そ) 淮河中下流    
秦(しん) 長江上流 楚(そ) 長江中下流    

これでは分かりにくいので「Google Earth」のお力をお借りします。

東南アジア

燕 北京市 天津市 河北省東南部 遼寧省西南部
趙 河北省西南部 山西省北部
斉 山東省
魏 河南省北部 山西省南部
韓 河南省中部 陝西省西南部
楚 上海市 江蘇省 安徽省 河南省南部 浙江省北部 江西省北部
   湖南省西北部
秦 陝西省 湖北省 湖南省北部 重慶市 四川省 成都市

これでも駄目かしら
それでは「支那大陸拡大版」で。

秦の始皇帝から始めたのは彼の時代に文字も統一
「小篆(篆<てん>書体)」が正式な書体とされたから。
これにより、発音は異なれでも「書」による正確な意思疎通が
可能となる画期的な革命に。
そして、始皇帝統一以前時代
燕・趙・斉・魏・韓・楚・秦人が各々存在し、
統一後は皆さん「秦人(しんじん)」になったのです。 続く。

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2017年6月10日 (土)

古事記時代の日本人と倭言葉4 602

新撰姓氏録より約100年前の古事記時代に日本列島でお住いの
日本人(旧表記は倭人)。
この日本人は近代「国民国家」以後の日本人とは全く異なります。
国民国家以降の「日本人」とは「日本国籍を有する人」。
一方、倭(大和)国、飛鳥政権に日本人と命名された方々は
飛鳥権力者達は当然として政権側にひれ伏した?人々。
「◯◯人」という云い方はとても抽象的。
例えば、「ユダヤ人」は「パレスチナ人」が暮らしていた地区に
無理矢理「国民国家」を設定した「イスラエル」1948/5/14以前は
色んな地区・地域で生活されていました。
否、現在でも色んな国にお住まいです。
1948/5/14以前、ユダヤ人は「ユダヤ教徒」でしたがイスラエル
イスラエル建国後は「母親がユダヤ人、ユダヤ教への改宗者」と
されています。
昨今話題、米トランプ大統領のお嬢さんイヴァンカさんは旦那さんの
クシュナー氏と婚姻する為キリスト教徒からユダヤ教に改宗しました。
但し、彼女は決してユダヤ人ではなくアメリカ(国籍)人です。
又、「漢人」について。
「カンジン」と読めば
女真人の「金王朝(1115~1234)」時代に「漢民族」を分類した際
北宋(960~1127)占領地(淮河<わいが>以北)遺民を南人とし
契丹人国「遼(916~1125)」が北宋より割譲されていた
「燕雲十六州(現在の北京周辺)」の遺民を「漢人(北人)」と。
蒙古(モンゴル)人の「元王朝(1271~1368)」時代、
金王朝の遺民を「漢人(女真人(後の満州人)、契丹人含む)」と。
中華思想を誇る?「漢民族」はかの如く色んな方々の集団に。
「あやひと」と読めば
古代、現在の中国大陸から倭国にいらして帰化した渡来人。
かように、「表記文字、及び、」は時代々々により「意味合い」が
異なりますので、とてもやっかいな代物です。 続く。

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2017年6月 3日 (土)

古事記時代の日本人と倭言葉3 601

古事記に記載されている渡来人。
百済・新羅からお越しになった方々は克明に描かれています。

「顏容麗美な日向の髪長姫」
こちらの古事記原文で描写されています。

「酩酊の応神帝 石動くと錯視?」
「照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀?」
こちらで再度整理してみます。

百済地区より
阿知吉師 和邇吉師 卓素 西素
新羅地区より
堤防・灌漑池造営技師

更に、
「秦造之祖・漢直之祖の出自」
こちらはは前出の「百済・新羅地区」より以前に来られた方々。
只どちらから来られた方かは明確に記述されていません。
但し、「秦(BC778~BC206)」「漢(BC206~8 25~220)」と文字表記
されていますので現在の中国からお越しになったと思われます。

秦(はた)氏
西漢(かわちのあや)氏=(河内漢氏)
東漢(やまとのあや)氏=(倭漢氏)

又、西・東漢の方々より遅れてお越しになった
今来漢人(いまきのあやひと)と云われた方々も。

更に物語として登場する渡来人も。
「天日矛登場 古事記原文」
物語は下記でご確認下さい。
「沼辺で憩う女性に日耀如虹指其陰上」
「赤玉は天日矛へ 乙女に変容」
「赤玉は阿加流姫神」
「天日矛の遠い係累 息長帯姫命」

新羅国王の子息、「天之日矛(あめのひぼこ)」。
日本海より来倭、「多遅摩(但馬)国」に居着いた方。

高(句)麗、任那から来倭された方々の情報は
残念ながら、古事記には記載されておりません。 続く。

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