古事記時代の日本人と倭言葉3 601
古事記に記載されている渡来人。
百済・新羅からお越しになった方々は克明に描かれています。
「顏容麗美な日向の髪長姫」
こちらの古事記原文で描写されています。
「酩酊の応神帝 石動くと錯視?」
「照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀?」
こちらで再度整理してみます。
百済地区より
阿知吉師 和邇吉師 卓素 西素
新羅地区より
堤防・灌漑池造営技師
更に、
「秦造之祖・漢直之祖の出自」
こちらはは前出の「百済・新羅地区」より以前に来られた方々。
只どちらから来られた方かは明確に記述されていません。
但し、「秦(BC778~BC206)」「漢(BC206~8 25~220)」と文字表記
されていますので現在の中国からお越しになったと思われます。
秦(はた)氏
西漢(かわちのあや)氏=(河内漢氏)
東漢(やまとのあや)氏=(倭漢氏)
又、西・東漢の方々より遅れてお越しになった
今来漢人(いまきのあやひと)と云われた方々も。
更に物語として登場する渡来人も。
「天日矛登場 古事記原文」
物語は下記でご確認下さい。
「沼辺で憩う女性に日耀如虹指其陰上」
「赤玉は天日矛へ 乙女に変容」
「赤玉は阿加流姫神」
「天日矛の遠い係累 息長帯姫命」
新羅国王の子息、「天之日矛(あめのひぼこ)」。
日本海より来倭、「多遅摩(但馬)国」に居着いた方。
高(句)麗、任那から来倭された方々の情報は
残念ながら、古事記には記載されておりません。 続く。
| 固定リンク
コメント