古事記時代の日本人と倭言葉2 600
古事記時代の日本人と倭言葉について更に考えてみます。
この時代より約100年後に嵯峨帝(786~842)の命を受け、
萬(万)多親王(788~830 桓武帝の息子さん)、
藤原園人(756~819 藤原楓麻呂の息子で藤原房前がお爺さん)が
「新撰姓氏録」を作成・献上(815年9月1日)。
この時期も系図詐称をする輩が排出していた感じ。
嵯峨帝は氏素性を正確にする為で
「新撰姓氏録」により整理整頓させたとの事。
調査エリヤは「京」、及び「五畿内」在住者。
五畿内は大和・河内・和泉・摂津・山背(城)国。
調査対象はあまた過ぎやっとこさっとこ、約50%程だったそうな。
この「新撰姓氏録」に依ると「1,182氏」。
その内訳は
皇別氏族 335氏 (神武帝以後)
神別氏族 404氏 (神武帝以前)
諸蕃氏族 326氏 (渡来帰化系)
不明氏族 117氏
とされているとの事。
これを前提すると、注目は「渡来帰化系」氏族の方々。
「京・五畿内」住まう方々は27.6%もいらっしゃる事実。
渡来帰化系326氏の内訳は
漢 | ⇒ | 163氏 |
百済 | ⇒ | 104氏 |
高麗 | ⇒ | 41氏 |
新羅 | ⇒ | 9氏 |
任那 | ⇒ | 9氏 |
との事。
渡来帰化系のご先祖さん達は
基本的に母国語をお話になっていた筈です。 続く。