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2017年5月27日 (土)

古事記時代の日本人と倭言葉2 600

古事記時代の日本人と倭言葉について更に考えてみます。
この時代より約100年後に嵯峨帝(786~842)の命を受け、
萬(万)多親王(788~830 桓武帝の息子さん)、
藤原園人(756~819 藤原楓麻呂の息子で藤原房前がお爺さん)が
「新撰姓氏録」を作成・献上(815年9月1日)。
この時期も系図詐称をする輩が排出していた感じ。
嵯峨帝は氏素性を正確にする為で
「新撰姓氏録」により整理整頓させたとの事。
調査エリヤは「京」、及び「五畿内」在住者。
五畿内は大和・河内・和泉・摂津・山背(城)国。
調査対象はあまた過ぎやっとこさっとこ、約50%程だったそうな。
この「新撰姓氏録」に依ると「1,182氏」。
その内訳は

皇別氏族 335氏 (神武帝以後)
神別氏族 404氏 (神武帝以前)
諸蕃氏族 326氏 (渡来帰化系)
不明氏族 117氏

とされているとの事。
これを前提すると、注目は「渡来帰化系」氏族の方々。
「京・五畿内」住まう方々は27.6%もいらっしゃる事実。
渡来帰化系326氏の内訳は

163氏
百済 104氏
高麗 41氏
新羅 9氏
任那 9氏

との事。 渡来帰化系のご先祖さん達は
基本的に母国語をお話になっていた筈です。 続く。

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2017年5月20日 (土)

高松塚古墳 被葬者は忍壁親王と 599

第17回高松塚古墳壁画修理作業室公開が5/13~5/19に。
今年は1月に続く2回目。
「高松塚古墳・キトラ古墳」(文化庁)
この公開に先立ち、NHK 歴史秘話ヒストリアにて
「飛鳥美人 謎の暗号を解け~高松塚壁画のヒミツ~」と銘打ち
壁画をデジタル処理で復元。

お見逃しの方はこちらでご確認を
「『飛鳥美人』の謎に挑みます!」
「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[前編]」
「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[後編]」

出典 NHK 歴史秘話ヒストリア 国宝・高松塚古墳壁画

(出典 NHK 歴史秘話ヒストリア 国宝・高松塚古墳壁画)

赤系衣装を纏っておられる女性は高貴なお方とか。
壁画に関しては更なる修復作業をお願いすることにして
注目はこの番組で高松塚古墳の被葬者は「忍壁(おさかべ)親王」と
予想されていました。
忍壁親王(?~705)であるなら、当に「古事記時代」そのもの。
忍壁親王は天武帝(?~686)の息子さん。
彼は父の天武帝から、
681年3月17日に「帝紀撰集」の命を受けています。
十中八九、未だ特定できない稗田名阿禮(礼) 、及び、太安萬侶と
接点が大いにあったと考えられます。
逆に接触がなかったとは考えられません。
又、彼は
703年4/20に知太政官事となり官僚トップに上り詰めていますので
太安萬侶らは十二分な情報を得ていたとも考えられます。  続く。

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2017年5月13日 (土)

古事記時代の日本人と倭言葉 598

古事記時代、飛鳥を本拠とした倭国人のリーダー達は
日本列島に住まう方々を
「日本(やまと=ひのもと)」の国の人々として
かの時代大帝国であった「唐」のリーダへ表明。
そして、それは、702年の出来事。
(702年 天皇の命を受けた粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功)
とは云うものの近現代の「国民国家」の範疇とは全く異なります。
国境は曖昧、話す言葉は色々の呈。
特に
沖縄諸島、九州南部(隼人)、東北・北海道(蝦夷)に住まう方方々は
一体どの様に思われていたかは甚だ疑問です。
例えば、未だに沖縄諸島にお住まいになる方は
ご自分達を「ウチナンチュー(沖縄人)」と表現、
日本列島に住まう方を「ヤマトンチュー(本土人)」と。
又、隼人はいずれの御時にか
「倭建命」或いは「どちら様」かに
「騙し討ち」或いは「武力制圧」されてしまった筈。
但し、蝦夷の方々は飛鳥政権に組することなく
平穏な?日々を過ごしていたと考えられます。
(後に圧倒的な武力を以ってして粉砕されるとは思いもせず。)
その時代の倭言葉を想像するに
現代でさえ「方言」をお使いになられたら意思疎通が難しいのに
互に相手を理解することが果たして可能だったのか?
思いやられる次第です。 続く。

尚、「国民国家」に関しましては
わたくしども ZIPANGUスタッフ のお爺さんブログ
「横丁のガンコ爺や」をご覧下さいませ。

国民国家の語源解きほぐし
第二番目の国民国家 フランス
日本・清朝の国民国家化
国民国家 故の尖閣諸島領土問題
中国の軍事力拡大論理 習近平国家主席発言
既存国民国家の終焉 新琉球国も?
カリフ国家 V.S. 国民国家 等々

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