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2017年5月13日 (土)

古事記時代の日本人と倭言葉 598

古事記時代、飛鳥を本拠とした倭国人のリーダー達は
日本列島に住まう方々を
「日本(やまと=ひのもと)」の国の人々として
かの時代大帝国であった「唐」のリーダへ表明。
そして、それは、702年の出来事。
(702年 天皇の命を受けた粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功)
とは云うものの近現代の「国民国家」の範疇とは全く異なります。
国境は曖昧、話す言葉は色々の呈。
特に
沖縄諸島、九州南部(隼人)、東北・北海道(蝦夷)に住まう方方々は
一体どの様に思われていたかは甚だ疑問です。
例えば、未だに沖縄諸島にお住まいになる方は
ご自分達を「ウチナンチュー(沖縄人)」と表現、
日本列島に住まう方を「ヤマトンチュー(本土人)」と。
又、隼人はいずれの御時にか
「倭建命」或いは「どちら様」かに
「騙し討ち」或いは「武力制圧」されてしまった筈。
但し、蝦夷の方々は飛鳥政権に組することなく
平穏な?日々を過ごしていたと考えられます。
(後に圧倒的な武力を以ってして粉砕されるとは思いもせず。)
その時代の倭言葉を想像するに
現代でさえ「方言」をお使いになられたら意思疎通が難しいのに
互に相手を理解することが果たして可能だったのか?
思いやられる次第です。 続く。

尚、「国民国家」に関しましては
わたくしども ZIPANGUスタッフ のお爺さんブログ
「横丁のガンコ爺や」をご覧下さいませ。

国民国家の語源解きほぐし
第二番目の国民国家 フランス
日本・清朝の国民国家化
国民国家 故の尖閣諸島領土問題
中国の軍事力拡大論理 習近平国家主席発言
既存国民国家の終焉 新琉球国も?
カリフ国家 V.S. 国民国家 等々

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