太安万侶ドラマ創りに邁進 593
持統女帝は時の経過をじりじりとじっーと?過ごし、
即位から7年後、持統女帝(53歳)は
待ちに待ちきれず軽皇子に譲位。
ここに文武帝が即位。(697年)
文武帝は御年、15歳(満14歳)。
無理矢理の呈を隠せませんが彼女にとってはギリギリの選択。
彼女の再構築した体制(天孫降臨)は成就したのです。
この結果を受け初めて、
古事記編纂者は「天孫降臨」ドラマ創りに邁進、編集し直したのです。
この古事記創作編纂者は太安万(萬)侶。
稗田阿礼から
「乙巳の変(645年)」
「古人大兄皇子殺人事件(645年)」
「蘇我倉山田石川麻呂自害事件(649年)」
「難波宮に孝徳帝置き去り事件(653年)」
「有馬皇子殺人事件(658年)」
「斉明女帝ら筑紫朝倉宮出張案件(661年)」
「白村江の戦い(663年)」
等々を聞かされ、又、
父と思われる多品治から
「壬申の乱」
の詳細を聞き及んでいた太安万侶。
太安万侶ご自身では
「大津皇子自害事件(686年)」
「持統女帝お孫さん帝位継承事案(697年)」
等々現場で見聞き。
太安万侶は「天孫降臨」を主題に置き
上記の出来事等を題材に「古事記」創作・執筆活動に勤しんだのです。
続く。
| 固定リンク
コメント