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2017年1月14日 (土)

古事記編纂が頓挫する状況に 592

遅ればせながら、「明けオメ」です。
皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と。
今年も、何卒、宜しくお願いネ!

それでは、
昨年の暮れに展開しました様に「古事記編纂の目論み」は
「天孫降臨」を正当化する事と判明しました。
そうであるなら、どちら様が企図したのか?
古事記編纂の云い出しっぺは天武帝でした。(681年)
天武帝の命でお仕事に関わった方々は基本的に天武帝の御代に
仕上げ・献上する段取りで勤しんだと考えます。
しかしながら、天武帝は編纂命から
僅か5年後に崩御されてしまったのです。(686年)
帝位を継ぐ筈であった天武帝の息子、
草壁皇子(皇太子)は未だ25歳の若輩。
取り急ぎ、鸕野讃良皇后が践祚することで月日を稼ぐ策に。
古事記編纂受諾者側の皆さんも上を下への大慌て。
天武帝の喪に服す時節1年余り、事を前に進めません。
やがて、喪が明け鸕野讃良皇后のご意向を伺い編纂お仕事を進め
始めますが、
2年後にあろう事か草壁皇子が薧じてしまう(28歳)のです。(689年)
窮地に陥った鸕野讃良皇后、翌年正月に即位、持統女性に。(690年)
あくまでもワンポイントリリーフで息子、
草壁皇子が帝になる迄の践祚計画が頓挫してしまったのです。
体制を再構築するため鸕野讃良皇后は即位に至ります。
古事記編纂担当者達も当然、支障を来す羽目に。
鸕野讃良皇后にとって体制の再構築はお孫さんで
草壁皇子の息子さんである軽皇子への帝位継承となったのです。
古事記編纂担当者達は
この状況を盛り込む企画に編集変更を余儀なくされます。
それ故、
持統女帝の意向で軽皇子の即位を確認する迄
編纂献上ができなくなってしまったのです。  続く。

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