持統女帝譲位 文武帝即位 588
舒明帝以降の人間模様と人の性をご覧頂きました。
690年 01/01持統女帝(鸕野讃良皇女)即位以降、
690年 07/05高市皇子が太政大臣に
694年 12/30大和の藤原宮に遷都
696年 07/14高市皇子薧じる(30歳)
697年 02/16軽皇子を皇太子に
697年 08/01持統女帝が譲位
草壁皇子と阿閇皇女の息子さん
軽皇子(文武帝)=持統女帝のお孫さん(15歳)が即位
上記のように推移。
持統女帝(53歳)は目出度く大願成就果たしたのです。
しかし、未だ文武帝は若干15歳(満14歳)の若者、
彼女は太上天皇として政(まつりごと)を司(つかさど)るのです。
「日本書紀」は持統女帝の譲位で「お仕舞(終)い」にしています。
「日本書紀」が献上される迄の間、
702年 12/22持統女帝(58歳)崩御
707年 06/15文武帝(25歳)崩御
707年 06/15文武帝の母、阿閇皇女(元明女帝)(47歳)践祚
707年 07/17元明女帝即位
710年 03/10平城京へ遷都
711年 09/18元明女帝が太安萬侶に古事記編纂依頼
712年 01/28太安萬侶が元明女帝に古事記献上
714年 02/10紀清人・三宅藤麻呂に国史撰修の詔勅
714年 06/24元明女帝のお孫さん、首王子(14歳)が皇太子に
715年 09/02元明女帝(55歳)が娘の氷高皇女(36歳)へ譲位
715年 09/02 氷高皇女(元正女帝)即位
720年 05/21舎人親王(45歳)日本書紀を元明女帝に献上
こんな流れになっています。
少なくても日本書紀は文武帝 ⇒ 元明女帝の御代を記載できた筈。
にも関わらず
697年持統女帝が譲位、文武帝即位で筆を止めているのです。
と云うことは文武帝即位(天孫降臨)記述で目的が達成されたのです。
続く。
| 固定リンク
コメント