持統女帝目眩く願い男子帝位継承 587
壬申の乱に勝利した大海人皇子翌年即位。
673年 02/27天武帝即位 鸕野讃良皇女(後の持統帝)が皇后に
679年 05/06吉野の盟約 6名に皇子の序列決定 草壁 大津 高市の順
681年 02/25草壁皇子(20歳)が皇太子に
681年 03/17天武帝が「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等命じる
ここに晴れて天武帝・鸕野讃良皇女⇒草壁皇子体制がスタート。
順風満帆な日々が続く筈が好事魔多し。
鸕野讃良皇后が体調不良(680年)に陥る(薬師寺建立)。
鸕野讃良皇后の病気平癒したと思いきや、お次は天武帝が体調不良。
鸕野讃良皇后が天武帝の病気回復を願うも大病に(686年)に。
その年の9/9に天武帝は崩御。
時系列は
683年 02/01大津皇子に朝政参加の詔
686年 05/24天武帝大病
686年 09/09天武帝崩御
天武帝の崩御に伴い、即、鸕野讃良皇后が践祚。
686年 09/09天武皇后(鸕野讃良皇女)践祚
686年 10/03大津皇子が謀叛のかどをきせられ自害
689年 04/13皇太子、草壁皇子薧じる(28歳)
690年 01/01持統女帝(鸕野讃良皇女)即位
草食系病弱男子の草壁皇子に比して、肉食系文武両道の大津皇子を
鸕野讃良皇后は謀反のかどで抹殺。
ひ弱な草壁皇子は
鸕野讃良皇后の願い(帝位継承)が叶わず28歳で他界。
鸕野讃良皇后は窮地に立つも「お孫さん」に願いを託す事に方針変更。
この願いを成就する為、翌年、690年1/1に持統女帝として即位。
続く。
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