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2016年11月 5日 (土)

壬申の乱 帝位継承争い 586

人間模様を確認しましたので、
お次は人の性(さが)が織りなす「諍(いさか)い」について。
日本史に於いて600年代権力闘争のビッグイベントは何と云っても

1 645年 乙巳の変
2 672年 壬申の乱

に尽きます。
ここでは阿礼の誦習、太安萬侶の古事記編纂時期に近い壬申の乱を
取り上げてみます。
先ずは時系列から

661年 07/24斉明女帝崩御により中大兄皇子が称制
662年          大海人皇子と鸕野讃良皇女の息子、草壁皇子の誕生
663年 02/27大海人皇子が大皇弟(皇太弟)<日本書紀>
667年 03/19中大兄皇子は近江大津に遷都
668年 01/03天智帝(中大兄皇子)即位
671年 01/05天智帝の息子、大友皇子が太政大臣、蘇我赤兄が左大臣
671年 10/19大友皇子(648~672)を皇太子に
671年 10/19大海人は鸕野讃良皇女(後の持統帝)らと吉野へ
671年 12/03天智帝崩御
672年 06/22大海人ら吉野等で挙兵(壬申の乱)
672年 07/23大海人軍 近江勢田にて大友皇子軍殲滅 皇子は自害
672年 07/23大海人皇子が践祚
672年 08/25大海人皇子の息子、高市皇子をして近江朝廷群臣罰する

帝位継承を庶民上がりの豊臣政権継承に準(なぞら)えては
とても不敬に当たりますが天智帝は
後継者を決めていたにも関わらず、その後、心変わりして
ご自分のお子さんを上記の如く後継者にしてしまったケースです。
天智帝の崩御後、大友皇子と大海人皇子は帝位継承を巡り
諍いを起こすと事になります。
諍いは皆さんご存じの通り大海人軍団が勝利を収めます。
この戦闘の立ち上げは吉野大海人軍挙兵(6/24)の情報を
吉野にいた和珥部君手(わにべのきみて)が美濃国在住の
「多品治(おほのほむぢ)(?~696?)」に伝え、彼らは(6/22)
美濃国で挙兵、不破の道(不破関)を封鎖・死守し大海人軍勝利に
大貢献したのです。
この多品治が太安萬侶の父とする説(阿蘇家略系譜)があります。 
  続く。

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