「天孫降臨」のモデル 585
先週ご紹介した「舒明帝以降の帝関連人間模様」、
ご覧頂けました?
未だのお方は是非お目通しを。
ご覧頂けると一目瞭然。
何と、天智帝のお嬢さんの内4名も天武帝に嫁いでいる事実。
これには驚き。
天智帝が天武帝に何かしら弱みがあったのか?
天武帝が思いの外「心温かいイケメン」だったのか?
又、夭折した草壁皇子は叔母様(阿閇皇女)とご夫婦に。
しかし、草壁皇子の叔母様は僅か一歳年上の姉さん女房。
いたって世代的には特に問題はありません。
しかしながら、この二つのケースはタブーとされる「近親相姦」とは
ならないと云えども、血が濃過ぎる事実は否めません。
更に目を引くのは藤原鎌足(614~669)のお嬢さん達が
天武帝に2名嫁いでいます。
天智帝には0名で1名が息子(大友皇子)さんの奥様になっています。
天智帝と結託しクーデター(乙巳の変)を起こした鎌足は
次期帝候補の天武帝には2名輿入れさせ、
次の次の帝候補の大友皇子にお嬢さんを嫁がせる盤石な政策?
帝の順列は(一文字空間は世代別)
1 天智帝
2 天武帝
3 持統女帝
4 文武帝
5 元明女帝
6 元正女帝
7 聖武帝
持統女帝にとって文武帝はお孫さん。
元明女帝にとって聖武帝はお孫さん。
この人間関係・模様が「天孫降臨」のモデル。 続く。
| 固定リンク
コメント