姓稗田名阿禮(礼) 581
天武帝が「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人、
「姓稗田名阿禮(礼)」に命じた時点での阿礼の歳は「廿八(28)」。
歳は旧暦ですので数え年。
681年03/17に天武帝は
「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等に命じていますので
おそらく、
この年、阿礼にも「「日継及先代旧辞」の「誦習」を指示したのでは?
仮にこう仮定すると阿礼は654年にこの世に生を受けた事になります。
又、阿礼は女性だったとの説もあり
代名詞「彼・彼女」で表現できません。
然るに、ここでは諄いですが「阿礼」で通します。
阿礼は
超抜群の表現・暗記・歌唱力があり
とても「聰(聡)明」だったとの事です。
とは云うものの、
阿礼は「どちら様」かに昔の出来事(古事<ふること>)を
お聞きにならなければどんなに聡明でも「誦習」は不可能。
天武帝も「どちら様」かに「帝紀」及び「本辞」に誤りがあることを
お聞きなって阿礼に正すよう命じ促したのです。
「朕(天武帝)聞諸家之所賷
帝紀及本辞
既違正実
多加虚偽
当今之時
不改其失
未経幾年
其旨欲滅
斯乃邦家之経緯
王化之鴻基焉
故惟撰録帝紀
討覈旧辞削偽定実
欲流後葉」
天武帝に提言、阿礼に伝え聞かせたこの「どちら様(複数?)」は
一体、「どちら様」なのでしょう?
おそらく、天武帝にシンパシー(sympathy)をお持ちの方で歴史・文学に
大変通じたお方であったと思われます。
このお方、
オッカム的には阿礼さんの親御さんかお身内であったのでは?
又、「姓稗田名阿礼」は芸名・偽名・愛称やも知れません。
何せ、
超一流の歴史・文学者が全く他の文献等で登場しないのですから。
余談ですが、否、本談ですが、この年
681年04/03に天武帝は「禁式九十二条を作製」、服色を定めています。
又、翌年
682年04/23 にヘアースタイルの変更も。
角髪(みずら) ⇒ 男性・女性ともに結髪 へ。 続く。
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