古事記編纂期間 128日 582
天武帝が
681年に「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人の阿礼に命じてから
年月が流れてドンブラコ。
太安萬侶が元明女帝に古事記編纂依頼された日が
711年 和銅四年九月十八日
太安萬侶が元明女帝(661~721 在位707~715)に古事記謹上日が
712年 和銅五年正月廿八日
この間、僅か「128日」を以て
太安萬侶は古事記を書き上げたのでした。
「超高速!古事記編纂」ってな感じでは?
しかし、先週紹介しました「姓稗田名阿禮(礼)」にて
681年03/17に天武帝は
「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等に命じていますので
おそらく、
この年、阿礼にも「日継及先代旧辞」の「誦習」を指示したのでは?
仮にこう仮定すると阿礼は654年にこの世に生を受けた事になります。
この推論からすると
711年09/18の時空では阿礼は御年58歳。
更に、天武帝に阿礼が誦習を命じられてから30年も経過しています。
又、天武帝は681年の翌年
682年 03/13新字四十四巻を造らしめ書物刊行を目指したのです。
しかしながら、阿礼の誦習を文字に置き換える方がいなかったのか?
天武帝は古事記を確認されず686年に崩御されています。 続く。
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