太朝臣安萬侶 癸亥年七月六日卒 579
先週紹介した「太安万侶墓誌」。
刻印されていた文字は
「左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之
養老七年十二月十五日乙巳」
太安万侶は
左亰四條四坊にお住まいあり、
従四位下勲五等が亡くなる前の職階で、
癸亥年七月六日にあの世に旅立たれ、
養老七年十二月十五日乙巳に埋葬した。
と云う事実が奈良市で茶畑を営むお爺さんのお陰で判明したのです。
癸亥年七月六日卒の「癸亥年」は干支紀年法から723年に。
723年と規定できるのは
604年より日本に於いて「暦」がスタート(政事要略)、
604/1/1=甲子年 丙寅月 癸卯日=推古十二年 正月 朔日、
604年が「甲子(コウシ=きのえね)年」で
「癸亥(キガイ=みずのとい)年」は丁度60番目、
604+59=663年 604+119=723年 604+179=783年、
埋葬日が養老七年十二月十五日乙巳、
元号の養老は元正帝の御代で(717~724年)からです。
尚、干支紀年法、及び、暦につきましては
「旧暦・十干十二支・陰陽五行説」
「旧暦 太陽太陰暦の仕組み」でご確認下さい。
癸亥年七月六日
癸亥年庚申月戊辰日
養老七年七月六日
723年7月6日
723/7/6
上記、全て同じ表現になるのです。
平成世代は当然、一番下の「723/7/6」ですよね?
又、余計なお世話ですが、
「養老七年十二月十五日乙巳」の乙巳は十五日で15日15日と
念を押したような表現に。
決して埋葬日もお忘れ無くって感じ? 続く。
| 固定リンク
コメント