古事記偽書説 太安万侶墓で没 578
「草木国土悉皆成仏」を唱える「梅原猛」さんの
古事記の文学性を味わう為「原文の古事記に当たって読んでほしい」
との、お薦めから「古事記読み」にファンである故に挑戦。
服・服飾・色、及び、女性に関する事象が
どの程度記述されているかの興味と
たかが「日本書紀」の十分の一の3巻しかないと読み始めたものの、
どっこい、思わず7年もの歳月を要す羽目になってしまったのです。
はじめは2009/05/04「神話、古事記を紐解くと」で
おわりは2016/07/30「敏達帝~推古帝 古事記原文」に。
服・服飾・色、に関する事象は僅かながら登場。
女性の関しては数多。
この動機なくして最後まで読破はできなかったと思われます。
この間、世はパソコン⇒ブログからスマホ⇒SNSに変貌。
ブログはファッション(流行)上、既に「時代遅れ」の超コンサバティブ
情況に陥っている昨今。
ブログで情報発信し続けるのは「ガラパゴスシンドローム(症候群)」。
誰も欲しない「ブログ情報」発信は全く、爺婆の世迷い言世界へ。
今や、一体、「どうしたもんじゃろのー」と思いを馳せる
わたくしども ZIPANGU スタッフ一同なのです。
味わい無き、簡潔・機械的表現のSNSではわたくしどもの「思い」を
決して、口惜しいのですがお伝えでき得ません。
しかしながら、
暫し、この葛藤を続けながら行きがかり上
「古事記の味わい」を展開したいと考えています。
イントロはこれ位にして、本論へ参ります。
そもそも、「古事記」は、とある時節まで「偽書」とされていました。
更に「太安万侶」自身の存在も懐疑の目で見られていたのです。
それを完全否定したのは「太安万侶墓」の出現です。
お日柄は1979年1月、奈良市で茶畑を営むお爺さんが
偶然見つけちゃったんです。
その墓誌には下記のごとき記されていたのです。
「左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之
養老七年十二月十五日乙巳」
| 固定リンク
コメント