« 仁賢帝~武烈帝は係累のみ継体帝も少々 570 | トップページ | 筑紫の磐井 継体帝に服す 572 »

2016年7月 2日 (土)

継体帝 唯一記載の竺紫君石井事件 571

古事記「竺紫君石井(つくしのきみいはゐ)事件」の記述は下記に。

「竺紫君
 不従天皇之命而
 多无礼
 故遣物部荒甲之大連
 大伴之金村連二人而
 殺石井」

日本書紀の表記では「竺紫」⇒「筑紫」、「石井」⇒「磐井」に。
「筑紫君は継体帝に命に従わず、
 礼「无=無」きことがはなはだ多かった。
 従って、
 物部荒甲之大連(もののべのあらかひのおおむらじ)
 大伴之金村連(おほとものかなむらのむらじ)
 の二名の軍団を遣わし、磐井を殺害した。」 と、
いともシンプルな記載のみ。
只、仁賢帝~武烈帝までは何も事件・事象が描かれていないので
この事件だけはこの間、画期的な事だったに違いありません。
日本史で 528年「磐井の乱」とされている事件です。
この出典は「日本書紀」に依っています。
日本書紀に於いて、
この事件は継体22年(西暦換算528年)の出来事に。
これを事実とすると継体帝は507年に即位したことに。
「日本書紀」の「磐井の乱」の記述は

廿二年冬十一月甲寅朔甲子
大將軍物部大連麁鹿火
親與賊師磐井交戰於筑紫御井郡
旗鼓相望
埃塵相接
決機兩陣之間
不避万死之地
遂斬磐井
果定疆場

となっています。
こちらは国立国会図書館 電子図書館蔵書巻17
確認可能ですので是非ご覧下さい。 続く。

|

« 仁賢帝~武烈帝は係累のみ継体帝も少々 570 | トップページ | 筑紫の磐井 継体帝に服す 572 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 仁賢帝~武烈帝は係累のみ継体帝も少々 570 | トップページ | 筑紫の磐井 継体帝に服す 572 »