継体帝 唯一記載の竺紫君石井事件 571
古事記「竺紫君石井(つくしのきみいはゐ)事件」の記述は下記に。
「竺紫君
不従天皇之命而
多无礼
故遣物部荒甲之大連
大伴之金村連二人而
殺石井」
日本書紀の表記では「竺紫」⇒「筑紫」、「石井」⇒「磐井」に。
「筑紫君は継体帝に命に従わず、
礼「无=無」きことがはなはだ多かった。
従って、
物部荒甲之大連(もののべのあらかひのおおむらじ)
大伴之金村連(おほとものかなむらのむらじ)
の二名の軍団を遣わし、磐井を殺害した。」 と、
いともシンプルな記載のみ。
只、仁賢帝~武烈帝までは何も事件・事象が描かれていないので
この事件だけはこの間、画期的な事だったに違いありません。
日本史で 528年「磐井の乱」とされている事件です。
この出典は「日本書紀」に依っています。
日本書紀に於いて、
この事件は継体22年(西暦換算528年)の出来事に。
これを事実とすると継体帝は507年に即位したことに。
「日本書紀」の「磐井の乱」の記述は
廿二年冬十一月甲寅朔甲子
大將軍物部大連麁鹿火
親與賊師磐井交戰於筑紫御井郡
旗鼓相望
埃塵相接
決機兩陣之間
不避万死之地
遂斬磐井
果定疆場
となっています。
こちらは国立国会図書館 電子図書館蔵書巻17で
確認可能ですので是非ご覧下さい。 続く。
| 固定リンク
コメント