大事にされた置目老媼 斬首された猪甘老人 567
顕宗帝は置目老媼に思いをはせ、歌を作ります。
阿佐遲波良(あさぢはら〈浅茅原〉)
袁陀爾袁須疑弖(をだに〈小谷〉をす〈過〉ぎて)
毛毛豆多布(ももづたふ)
奴弖由良久母(ぬて〈鐸〉ゆ〈揺〉らくも)
淤岐米久良斯母(おきめ〈置目〉く〈来〉らしも)
「多くの野原・小谷を越えて鐸の音が
まさに置目老媼が来るようだ」
暫くすると置目老媼は老齢故、都暮らしに疲れ
生まれ育った田舎の淡海(近江)国へ帰りたい気持ちを顕宗帝に告白。
顕宗帝は置目老媼を慮り、彼女を帰郷させます。
その際、彼女を見送る顕宗帝は一歌。
意岐米母夜(おきめ〈置目〉もや)
阿布美能淤岐米(あふみ〈淡海〉の置目)
阿須用理波(あす〈明日〉よりは)
美夜麻賀久理弖(みやま〈御山〉がく〈隠〉りて)
美延受加母阿良牟(み〈見〉えずかもあらむ)
「置目よ淡海の置目、明日より山の向こうに行ってしまうから
もう逢えなくなってしまうよな」
何か、若くて愛しい彼女とのお別れ見たいな感じでは?
ここで、置目老媼のお話から一転、
「山代(=山城国)之猪甘」の「粮(=乾飯)」強奪事件へ。
お二人(袁祁命・意冨祁命)が播磨国への逃避行の際、
山城国で顔に刺青を施した「猪甘老人」に乾飯を奪われました。
その時の子細は記述されていませんでした。
しかし、袁祁命(顕宗帝)は彼の追捕を命じます。
程なく「猪甘老人」を発見、都へ召還。
更に、彼を「飛鳥河之河原」で斬首してしますのです。
又、彼の一族郎党の「膝筋(ひざすじ)」も切断、歩行困難にする挙に。
この行為は尋常でないと思いますが・・・・・。
余程、「猪甘老人」に怨念を抱かせる出来事があったのでしょうか?
古事記原作者はこのシンプル記述から各想像しなさい事かしらん?
続く。
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