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2016年5月28日 (土)

市辺之押歯王の遺骨捜索 566

袁祁之石巣別命(をけのいはすわけのみこと)=顕宗帝のお住まいは
「近飛鳥宮」で「捌歳(やとせ)」(8年)間、政を取られたとか。
具体的な為政期間が示されたのは初めてでは?
尚、数詞の漢字配当は「山幸彦 伍佰捌拾歳(580年)生存?」で。
奥様は「石木王之女難波王」でお子様はできなかったとか。
志毘臣に横恋慕された「菟田首等之女名大魚」さんと
結婚されなかったのかしら
志毘臣とあれだけ歌垣で闘ったのに?
ここで、お話は顕宗帝の父親、市辺之押歯王の遺骨捜索へ展開。
市辺之押歯王は淡海(近江)国、蚊屋野で大長谷王に抹殺されました。
子細は「市辺之忍歯王 淡海(近江)で没す」で。
市辺之押歯王の遺体は蚊屋野に埋葬されていたようです。
その埋葬場所をたまたま?知っていた
「老媼(おみな)=老婆」が存在したのです。
顕宗帝が父親の遺骨捜索をしている情報を風の噂で聞き及び
その老婆が近江にいらした顕宗帝へご注進。
「貴男の父上の埋葬場所を知っているのは私だけです。
 又、貴男の父上の特殊な歯並びも良く存じ上げています。」と。
具体的な歯形を知る得ているって事は彼女が埋葬したのかしらん?
(顕宗帝も父親の歯形を当然覚えておられたのでしょう。)
そこで早速、
顕宗帝は彼女が云う所を近くに住まう人に掘り起こしを依頼、
市辺之押歯王の遺骨を探し出させ、
出てきた「御骨」確認したところ父親の遺骨と判明。
早速、其蚊屋の東山に「御陵」を造営し葬られた。
墓守は「韓袋之子等」に命じ、後にお骨を宮に持ち帰られた。
顕宗帝は老婆の情報に感じ入り、老婆を宮に呼び入れ、
「置目(おきめ)老媼」と名前を与えそれはそれは大事にされた。
更に、宮の近くに「住屋」を建て彼女を住まわせた。
又、「大殿」の戸に「鐸(ぬて)」を懸け、彼女をお呼びなる際は
その鐸を鳴らしたとの事。  続く。

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