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2016年4月23日 (土)

飯豊郎女は女帝だったやも 561

白髮大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと)=(清寧帝)は
女性嫌いだったのか?「無皇后亦無御子」とか。
名代として「白髮部」を設定。こちらは以前、記載されていました。
従って、清寧帝には兄弟もおりませんので
お亡くなりになると継嗣が存在しない状況に陥ります。
又、清寧帝の没年・陵墓も記述されていません。
これは一体どうしたのかしら
疑問ですが、後に考察する事にします。
ところで、
帝不在状況を解消する為に候補者を捜すと居られたのです?
そのお方は
「市辺忍歯別王之妹 忍海郎女 亦名飯豊王」さん。
彼女は「権力奪取闘争履中帝」にて前出の
「市辺之忍歯王 次妹青海郎女 亦名飯豊郎女」さん。
青海郎女(あおみのいらつめ)=忍海郎女(おしぬみのいらつめ)
飯豊郎女(いひとよのいらつめ)=飯豊王(いひとよのみこ)さん。
飯豊郎女(飯豊王)は伊邪本和気命(履中帝)のお嬢さん。
系譜的には安康・雄略帝と同世代に。
宮は
「葛城忍海之高木角刺(かづらきおしぬみのたかきのつぬさし)」。
但し、
「治天下也」との記述がないので帝位につかれたかは不明。
一説に、彼女は清寧帝の奥様でとっても男性嫌いな女性だったとか。
故にお子さんができなかったと云う推論。
とは云うものの彼女の兄、市辺忍歯別王は清寧帝の父、雄略帝に抹殺
された方。
子細は「市辺之忍齒王 淡海(近江)で没す」でご確認を。
故に飯豊郎女(飯豊王)は遺恨があったやも?
又、彼女は清寧帝の伯母様に当たり
清寧帝が怖気(おじけ)づいたやも知れません事?
真相は分かりかねますが、古事記の次の記述で
「爾山部連小楯 任針間(播磨)国之宰時」と有りますので
清寧帝亡き後、飯豊郎女(飯豊王)がリーダー(女帝)だったやも? 
もし、飯豊郎女(飯豊王)が帝位に就かれていても
中皇命(なかつすめらみこと)=中継ぎ女帝になります。
 続く。

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