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2016年3月26日 (土)

国生み 許袁呂(こおろ)=かき回し 557

雄略帝(大長谷若建命)は「坐長谷朝倉宮治天下也」。
故に、「坐長谷之百枝槻下為豊楽之時」は「長谷朝倉宮」では?
にも関わらず、伊勢国の三重采女さんは景行帝のお住まいであった
「纒向日代宮」について語っています。

纒向日代宮
朝日・夕日が照り輝き、
宮の土台は竹・木樹の根がはびこり、
たくさんの土で築いた堅固な宮。
庭に咲き誇る木樹の上枝は天を・中枝は吾妻を・下枝は鄙を覆う勢い、
又、木樹の上枝から伸びる葉は中枝に落ち触れ、
中枝から伸びる葉は下枝に落ち触れ、更に、
下枝から伸びる葉は
三重采女の私が(雄略帝に)捧げた大盃へ落ちこぼれています。
その落ちこぼれた葉が御神酒を「許袁呂(こおろ)=かき回し」、
かき回す様子。
この光景はまさに「仲良しな伊邪那岐命と伊邪那美命」が「国生み」を
された情景ではございませんか!
かの仲良しお二人のご子孫の雄略帝様!

ってな感じと考えますが、如何せんなぜ纒向日代宮なのか疑問!
古事記が指し示す「都市国家」の中心地=「宮」の所在地は

景行帝 纏向之日代宮
成務帝 淡海之志賀高穴穗宮
倭建命
仲哀帝 穴門之豊浦宮 筑紫訶志比宮
応神帝 軽嶋之明宮
仁徳帝 難波之高津宮
履中帝 伊波礼之若桜宮
反正帝 多治比之柴垣宮
允恭帝 遠飛鳥
安康帝 石上之穴穗宮
雄略帝 長谷朝倉宮

違和を感じざるを得ません。一体どうなっているのかしら
何処かの時点で明らかにしたいと考えます。
更なる驚きは伊勢国の三重采女さんが
「伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み」をご存じだった事。
否、女性だから当然お分かりだったのでしょう。
これに関して深く追求するのは「野暮」ってものかも。 
女性特有の「機転が利く感性」には脱帽です事よ。 続く。

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