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2016年2月27日 (土)

鏡の世界現象 一言主大神 553

又、ある時、雄略帝が「百官人(役人)」と
葛城山へ登った際におきた摩訶不思議現象話し。
雄略帝はご自分を補佐する役人達に制服(「紅紐之青摺衣服」)を
着用させておられたのです。
その制服は「青」色の後染め「衣服」で紐が「紅」色。
(紺のスーツに赤のネクタイ感じ。) 中々お洒落!
雄略帝も中々粋な計らいを。(ポケットマネーなら尚良しですが?)
それはさて置き、雄略帝はその制服姿の役人達を引き連れ、
葛城山に登ろうとした時、
対面の山にも雄略帝と同じ「装束」出で立ち、
付き従う「人衆」も雄略帝の役人達に似た衣装を着た一行が。
雄略帝は不審に思い、向こうの山の一団に問いかけます。

「於茲倭国
 除吾亦無王
 今誰人如此而行」

「この倭国に於いて吾を除いて「王」は居ないのに一体誰なの?」
而して、相手の答えは雄略帝と同じ文句のオウム返し。
この対応に雄略帝は大「忿(憤慨)」。
雄略帝は弓に矢を番(つが)えると役人達も悉く矢を番えた。
すると、相手も全く同じ行為に及ぶ始末。
仕方なく、雄略帝は再度、問いかけます。
「然(しか)らば、名を告げよ。おのおの名を告げ合い矢を射かけよう」
ここに及んで、雄略帝に似よりのお方がお答え。
「私が先に問われたので私が先に名告る。」
そして、おもむろに

「雖悪事而一言
 雖善事而一言
 言離之神
 葛城之一言主之大神者也」

と仰せになったのです。
「葛城之一言主之大神」を雄略帝はご存知だったのかしら
「悪事・善事」を「一言」で表現できる一言主大神とは?
雄略帝が「畏(おそ)」れられたのですから彼より格上のお方?
恐れ多く、単純明快表現可能と云われた(orる)一言主大神が
雄略帝の目の前に
「宇都志意美(うつしおみ=現大身=現人神)」として出現した事に。
雄略帝は畏(かしこま)り、ご自分の武具(刀・弓矢)、
及び、役人達の制服を脱がせそれらの「衣服」を一言主大神に献上。
一言主大神はこの行いに、
いたく喜び柏手(かしわで)を打ちお受け取り。
更に、雄略帝の帰途の際、わざわざ山を下り「長谷山」口(入り口)迄
見送られたとの事。
鏡の世界現象(ミラー現象)を表出させた「一言主大神」って???
 続く。

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2016年2月20日 (土)

大猪に襲われ木に登る雄略帝 552

次なるお話しは雄略帝が「葛城之山」で狩をした際の出来事。
葛城山へ狩りにお出かけになった時、大きな猪に遭遇。
思わず、
雄略帝は「鳴鏑(なりかぶら)=音が出る矢」を獲物に射ったそうな。
大きな猪はこの矢にビックリ、怒り心頭。
「宇多岐依来」(うたきよりき)=唸り声をあげて雄略帝へ猪突猛進。
その唸り声に雄略帝は畏れおののき、
「榛(はりのき)」の上へよじ登ったそうな。
その際の情景歌。

夜須美斯志(やすみしし)
和賀意冨岐美能(わが大君の)
阿蘇婆志斯(あそ〈遊〉ばしし)
志斯能(しし〈猪〉の)
夜美斯志能(やみ猪の)
宇多岐加斯古美(うたきかしこ〈畏〉み)
和賀爾宜(わ〈吾〉がに〈逃〉げ)
能煩理斯(のぼ〈登〉りし)
阿理袁能(ありをの)
波理能紀能延陀(はりのき〈榛〉のえだ〈枝〉)

まさに「そのまんま」。
お側の方々が身を挺して帝を守らなかったのかしら
それとも我先ににげてしまったのかも。
もしそうなら、中々間抜けな「絵姿」では?
時の帝をこのような状態にするのは如何なものかとも。
この次のお話しも「葛城山」のお話しだから関連があるやも。  続く。

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2016年2月13日 (土)

倭国はあきづ(秋津島)と? 551

雄略帝が「阿岐豆野(あきづの)」へ猟にお出かけ。
「御呉床(床几)」にお座りなっていた際、不可思議な事が起こります。
虫偏の国構えの中が又=虻(あむ⇒あぶ)とか。
その虻が雄略帝の腕を刺したところ、
何処からか「蜻蛉(=阿岐豆<あきづ>=とんぼ)来」て
虻をさっと食べて飛び去っていったんですって。
その時の出来事を雄略帝は歌で表現

美延斯怒能(みえしぬの)
袁牟漏賀多氣爾(をむろがたけ〈嶽〉に)
志斯布須登(しし〈猪鹿〉ふ〈伏〉すと)
多禮曾意冨麻幣爾(たれ〈誰〉そおほまへ〈大前〉に)
麻袁須(まを〈申〉す)
夜須美斯志(やすみしし)
和賀淤冨岐美能(わがおふきみ〈大君〉の)
斯志麻都登(猪鹿まつ〈待〉と)
阿具良爾伊麻志(あぐら〈呉床〉にいま〈座〉し)
斯漏多閇能(しろたへ〈白栲〉の)
蘇弖岐蘇那布(そ〈衣〉てき〈着〉そなふ)
多古牟良爾(たこむら〈手腓〉に)
阿牟加岐都岐(あむ〈虻〉かきつき)
曾能阿牟袁(その虻を)
阿岐豆波夜具比(あきづ〈蜻蛉〉はやぐ〈早食〉ひ)
加久能碁登(かくのごと)
那爾淤波牟登(な〈名〉にお〈負〉はむと)
蘇良美都(そらみつ)
夜麻登能久爾袁(やまとのくに〈倭国〉を)
阿岐豆志麻登布(あきづしま〈秋津島〉とふ)

トンボ(蜻蛉)が虻を食べてしまうのを見た事は残念ながら有りません。
もし、それが事実でもその現象を
倭国が秋津(蜻蛉=阿岐豆=あきづ)島と云われる事にも
合点が行きませんけど?
「一体、ドーユウコト」。
こう思うのは、私ども ZIPANGU だけかしら?  続く。

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2016年2月 6日 (土)

倭国は「蜻蛉=阿岐豆(あきづ)=秋津島 550

「夜麻登能久爾(倭国)」は「蜻蛉=阿岐豆(あきづ)=秋津島」と
云われる由縁話が展開される古事記原文です。

即幸阿岐豆野而
御獵之時
天皇坐御呉床
爾◯咋御腕 ◯は虫偏に国構えの中が又
即蜻蛉來
咋其◯而飛(訓蜻蛉云阿岐豆)
於是作御歌
其歌曰
美延斯怒能
袁牟漏賀多氣爾
志斯布須登
多禮曾意冨麻幣爾
麻袁須
夜須美斯志
和賀淤冨岐美能
斯志麻都登
阿具良爾伊麻志
斯漏多閇能
蘇弖岐蘇那布
多古牟良爾
阿牟加岐都岐
曾能阿牟袁
阿岐豆波夜具比
加久能碁登
那爾淤波牟登
蘇良美都
夜麻登能久爾袁
阿岐豆志麻登布
故自其時
號其野謂阿岐豆野也
又一時
天皇登幸葛城之山上
爾大猪出
即天皇以鳴鏑
射其猪之時
其猪怒而
宇多岐依來(宇多岐三字以音)
故天皇畏其宇多岐
登坐榛上
爾歌曰
夜須美斯志
和賀意冨岐美能
阿蘇婆志斯
志斯能
夜美斯志能
宇多岐加斯古美
和賀爾宜
能煩理斯
阿理袁能
波理能紀能延陀
又一時天皇登幸葛城山之時
百官人等
悉給著紅紐之青摺衣服
彼時有其自所向之山尾
登山上人
既等天皇之鹵簿
亦其裝束之状
及人衆
相似不傾
爾天皇望令問曰
於茲倭國
除吾亦無王
今誰人如此而行
即答曰之状亦
如天皇之命
於是天皇大忿而
矢刺
百官人等
悉矢刺爾
其人等亦皆矢刺
故天皇亦問曰
然告其名
爾各告名而彈矢
於是答曰
吾先見問故吾先爲名告
吾者
雖惡事而一言
雖善事而一言
言離之神
葛城之一言主之大神者也
天皇於是惶畏而白
恐我大神
有宇都志意美者(自宇下五字以音)
不覺白而
大御刀及弓矢始而
脱百官人等所服之衣服
以拜獻
爾其一言主大神
手打受其捧物
故天皇之還幸時
其大神滿山末
於長谷山口送奉
故是一言主之大神者
彼時所顯也

読み解きは来週に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P106の7行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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