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2016年1月30日 (土)

舞上手な「形姿美麗」お嬢さん 549

次の「形姿美麗」お嬢さん話。
大長谷若建命(雄略帝)が「吉野宮」に行かれた際、
「吉野川」の辺(ほとり)に見目麗しいお嬢さんを目聡く発見。
今度も彼女の意志・お気持ちを確認せず、更にいきなり合体とか。
何と不埒でいけずな殿方では?
雄略帝はお幸せなお時間を過ごし、お住まいへお帰りに。
後日、十中八九、彼は彼女の事が忘れられず、再び吉野にお出かけ。
雄略帝は「当然」彼女のお住まいを聞き出していたのでしょう。
又、彼女が「舞(ダンス)」が得意って情報も得たのでしょう。
彼は琴持参で彼女の居場所に一目散。
彼女を見つけ、早速、琴と舞の競演。
彼女の舞はことのほかお上手だった感じ。
雄略帝は悦に入り、一歌。

阿具良韋能(あぐらゐ〈呉床座〉の)
加微能美弖母知(かみ〈神〉のみて〈御手〉もち)
比久許登爾(ひ〈弾〉くこと〈琴〉に)
麻比須流袁美那(まひ〈舞〉するをみな〈女〉)
登許余爾母加母(とこよにもがも)

「登許余爾母加母(常世にもがな)」
(いつまでも、若くて美しく、舞が上手い女性でいて欲しい)
と云われても、「時は平等に経過」してしまうのです。
「形姿美麗」 ⇒ 「姿体痩萎」 は時間の問題。
「花の命は短くて、楽しい時間は僅かなり」なの。
「いつまでもあると思うな美貌と権力」なのよ。  続く。

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2016年1月23日 (土)

「姿体痩萎」(しわくちゃ婆さん)=赤猪子 548

身勝手で不埒な大長谷若建命(雄略帝)と
忠実にも雄略帝のお言葉を信じ、
「姿体痩萎」(しわくちゃ婆さん)=赤猪子さんが歌でこの間の
お気持ちを表現しています。

大長谷若建命(雄略帝)

美母呂能(みもろの)
伊都加斯賀母登(いつかしがもと)
加斯賀母登(かしがもと)
由由斯岐加母(ゆゆしきかも)
加斯波良袁登賣(かしはらをとめ〈乙女〉)

比氣多能(ひけた〈引田〉の)
和加久流須婆良(わか〈若〉くるすばら)
和加久閉爾(若くへに)
韋泥弖麻斯母能(ゐね〈率寝〉てましもの)
淤伊爾祁流加母(お〈老〉いけるかも)

「姿体痩萎」(しわくちゃ婆さん)=赤猪子さん

美母呂爾(みもろに)
都久夜多麻加岐(つくやたまがき〈玉垣〉)
都岐阿麻斯(つき〈斎〉あま〈余〉し)
多爾加母余良牟(た〈誰〉にかもよ〈依〉らむ)
加微能美夜比登(かみ〈神〉のみやひと〈宮人〉)

久佐迦延能(くさかえ〈日下江〉の)
伊理延能波知須(いりえ〈入江〉のはちす〈蓮〉)
波那婆知須(はなはち〈花蓮〉す)
微能佐加理毘登(み〈身〉のさか〈盛〉りひと〈人〉)
登母志岐呂加母(ともしきろかも)

このやりとりの後、雄略帝は「多禄給」って「返遷」とか。
80年の「お気持ちのお値段」は一体如何ほどだったのでしょう?
何とも釈然としない情景が過ぎる思い・・・・・。 続く。

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2016年1月16日 (土)

身勝手で不埒な大長谷若建命 547

遅ればせながら、「明けおめ」です。
皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と。
それでは去年からの続きです。
新年早々とても身勝手で不埒な殿方(大長谷若建命)のお話を。
十中八九、時系列が前後していますが古事記描写順序にします。
大長谷若建命(雄略帝)が「美和河(=三輪川)」に散策された際、
「容姿甚麗(可愛い)」「童女(幼い少女)」が
川辺で着物を洗濯しているのを発見、
不埒な大長谷若建命(雄略帝)は彼女に早速
「『汝者誰子(お前は誰の子)』」とお尋ねになった。
すると、幼子は
「私は『引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)』よっ」とお答え。
雄略帝は赤猪子が将来必ず見目麗しい女性に変身すると思い
「お前は大きくなっても結婚するな、私の所に来るのだ」と仰せになり
宮へお帰りになった。
赤猪子は忠実にも雄略帝の「命(お言葉)」を信じお召しを待つが
「既経八十歳」(80年もの年月が流れて)しまったとか。
赤猪子は妙齢な女性⇒麗しい女性へと変身、
やがて齢を重ね「姿体痩萎」(しわくちゃ婆さん)に変貌。
彼女はいくら何でもこの年になったらお召しはないと思えど、
こんな姿になるまで男を寄せ付けず一心にお待ちしていた事実を
雄略帝にお示ししなければと思いを巡らします。
そこで今やお婆さんながら気丈夫で凛々しい彼女は
「百取之机代物(たぶん結婚支度・調度品)」を誂え
雄略帝のお住まいにお持ちになり、お訪ねされたんだとさ。
お婆さんの突然の訪問に、「お約束事」をすっかり忘れ果てて
おられた雄略帝は「びっくりポン」。
お婆さんになった赤猪子は雄略帝に事の次第を申し上げます。
赤猪子のお話しをお聞きになった雄略帝は彼女の一途さにいと感激。
彼女の気持ちを慮り、枕を交えようかと思えど、如何せん彼女は・・・。
との表記ですが、ふと考えると雄略帝もとんでもないお爺さんの筈!
雄略帝の方こそお体は云う事を聞いて下さるとは思えないのですが?
「女性は灰になる迄」って雄略帝はご存じではなかったのかしら
 続く。

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