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2015年12月13日 (日)

女性を翻弄する大長谷若建命 546

女性に対しも、とてもヤンチャ(いい加減)な振る舞いをされる
大長谷若建命(雄略帝)。
そこのところの古事記原文です。

亦一時天皇遊行
到於美和河之時
河邊有洗衣童女
其容姿甚麗
天皇問其童女汝者誰子
答白己名謂引田部赤猪子
爾令詔者
汝不嫁夫
今將喚而
還坐於宮
故其赤猪子
仰待天皇之命
既經八十歳
於是赤猪子以爲
望命之間
已經多年
姿體痩萎
更無所恃
然非顯待情
不忍於悒而
令持百取之机代物
參出貢獻
然天皇既忘先所命之事
問其赤猪子曰
汝者誰老女
何由以參來
爾赤猪子答白
其年其月
被天皇之命
仰待大命至于今日
經八十歳
今容姿既耆
更無所恃
然顯自己志
以參出耳
於是天皇大驚
吾既忘先事
然汝守志待命
徒過盛年
是甚愛悲
心裏欲婚
憚其極老
不得成婚而
賜御歌
其歌曰
美母呂能 
伊都加斯賀母登 
加斯賀母登 
由由斯岐加母 
加斯波良袁登賣
又歌曰
比氣多能 
和加久流須婆良 
和加久閉爾 
韋泥弖麻斯母能 
淤伊爾祁流加母
爾赤猪子之泣涙
悉濕其所服之丹揩袖
答其大御歌而歌曰
美母呂爾 
都久夜多麻加岐 
都岐阿麻斯 
多爾加母余良牟 
加微能美夜比登
又歌曰
久佐迦延能 
伊理延能波知須 
波那婆知須 
微能佐加理毘登 
登母志岐呂加母
爾多禄給其老女以
返遣也
故此四歌者
志都歌也
天皇幸行吉野宮之時
吉野川之濱
有童女
其形姿美麗
故婚是童女而
還坐於宮
後更亦幸行吉野之時
留其童女之所遇
於其處立大御呉床而
坐其御呉床
彈御琴
令為儛其孃子
爾因其孃子之好儛
作御歌
其歌曰
阿具良韋能 
加微能美弖母知 
比久許登爾 
麻比須流袁美那 
登許余爾母加母

読み解きは来年に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P104の4行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

今年も一年ご覧頂きまして有難うございました。
わたくしども ZIPANGU は冬休みを頂きます。
皆様におかれましては良いお年をお迎え下さい。

来年も乞うご期待。 それではご機嫌よう。

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2015年12月 6日 (日)

若日下部王 大長谷若建命を袖に 545

大長谷若建命(雄略帝)は志幾之大縣主から頂いた
珍しいワンチャン「布縶白犬著鈴」を若日下部王にプレゼント。
但し、この後の展開で判る事ですが、大長谷若建命は今回初めて
若日下部王の所へいらっしゃたんです。
それも「都摩杼比(つまどひ=妻問い)」だったのです。
(妻問い=お泊り)
更に、酷いことに彼は何のプレゼントも持ってこなかった事実。
これってひどい! 超ダサイ!
これに対し若日下部王はクールに彼を袖にします。
「わざわざお越し下さらなくても、拒めないことはわかっていますので
 その内あなたのお住まいにおじゃましますわ。」ってな感じ。
断られた大長谷若建命はオズオズ還る羽目に。
帰る途上、日下山の坂上で情けない歌を一発。

久佐加辨能(くさかべの〈日下部〉)
許知能夜麻登(こちのやま〈山〉と)
多多美許母(たたみこも〈畳薦〉)
幣具理能夜麻能(へぐり〈平群〉の山の)
許知碁知能(こちごちの)
夜麻能賀比爾(山のかひ〈峽〉に)
多知邪加由流(た〈立〉ちざか〈栄〉ゆる)
波毘呂久麻加斯(はびろ〈葉広〉くまかし〈熊白檮〉)
母登爾波(もとには)
伊久美陀氣淤斐(いくみだけ〈竹〉お〈生〉ひ)
須惠幣爾波(すゑへ〈末辺〉には)
多斯美陀氣淤斐(たしみ竹生ひ)
伊久美陀氣(いくみ竹)
伊久美波泥受(いくみはね〈寝〉ず)
多斯美陀氣(たしみ竹)
多斯爾波韋泥受(たしみはゐね〈率寝〉ず)
能知母久美泥牟(のち〈後〉もくみね〈組寝〉む)
曾能淤母比豆麻(そのおも〈思〉ひづま〈妻〉)
阿波禮(あはれ)

何とはなしにこの歌、お分かりになるでしょう?
大長谷若建命のデリカシーの無さ。
権威・権力をかざして女性をモノにしよう何て最低!

このお二人にお子さんができなかったのは・・・・・。  続く。

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