女性を翻弄する大長谷若建命 546
女性に対しも、とてもヤンチャ(いい加減)な振る舞いをされる
大長谷若建命(雄略帝)。
そこのところの古事記原文です。
亦一時天皇遊行
到於美和河之時
河邊有洗衣童女
其容姿甚麗
天皇問其童女汝者誰子
答白己名謂引田部赤猪子
爾令詔者
汝不嫁夫
今將喚而
還坐於宮
故其赤猪子
仰待天皇之命
既經八十歳
於是赤猪子以爲
望命之間
已經多年
姿體痩萎
更無所恃
然非顯待情
不忍於悒而
令持百取之机代物
參出貢獻
然天皇既忘先所命之事
問其赤猪子曰
汝者誰老女
何由以參來
爾赤猪子答白
其年其月
被天皇之命
仰待大命至于今日
經八十歳
今容姿既耆
更無所恃
然顯自己志
以參出耳
於是天皇大驚
吾既忘先事
然汝守志待命
徒過盛年
是甚愛悲
心裏欲婚
憚其極老
不得成婚而
賜御歌
其歌曰
美母呂能
伊都加斯賀母登
加斯賀母登
由由斯岐加母
加斯波良袁登賣
又歌曰
比氣多能
和加久流須婆良
和加久閉爾
韋泥弖麻斯母能
淤伊爾祁流加母
爾赤猪子之泣涙
悉濕其所服之丹揩袖
答其大御歌而歌曰
美母呂爾
都久夜多麻加岐
都岐阿麻斯
多爾加母余良牟
加微能美夜比登
又歌曰
久佐迦延能
伊理延能波知須
波那婆知須
微能佐加理毘登
登母志岐呂加母
爾多禄給其老女以
返遣也
故此四歌者
志都歌也
天皇幸行吉野宮之時
吉野川之濱
有童女
其形姿美麗
故婚是童女而
還坐於宮
後更亦幸行吉野之時
留其童女之所遇
於其處立大御呉床而
坐其御呉床
彈御琴
令為儛其孃子
爾因其孃子之好儛
作御歌
其歌曰
阿具良韋能
加微能美弖母知
比久許登爾
麻比須流袁美那
登許余爾母加母
読み解きは来年に。 続く。
web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P104の4行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。
今年も一年ご覧頂きまして有難うございました。
わたくしども ZIPANGU は冬休みを頂きます。
皆様におかれましては良いお年をお迎え下さい。
来年も乞うご期待。 それではご機嫌よう。
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