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2015年11月22日 (日)

大長谷若建命と若日下王 543

大長谷若建命(雄略帝)は奥様、若日下王へせこい贈り物をする箇所
の古事記原文です。

大長谷若建命
坐長谷朝倉宮治天下也
天皇
娶大日下王之妹
若日下王(无子)
又娶都夫良意富美之女
韓比賣生御子
白髮命<清寧帝>
次妹若帶比賣命(二柱)
故爲白髮太子之御名代
定白髮部
又定長谷部舎人
又定河瀬舎人也
此時呉人參渡來
其呉人安置於呉原
故號其地謂呉原也
初大后坐日下之時
自日下之直越道
幸行河内
爾登山上望國内者
有上堅魚作舎屋之家
天皇令問其家云
其上堅魚作作舎者
誰家
答白志幾之大縣主家
爾天皇詔者
奴乎
己家
似天皇之御舎而造
即遣人
令燒其家之時
其大縣主懼畏
稽首白
奴有者
隨奴不覺而
過作
甚畏
故獻能美之御幣物(能美二字以音)
布縶白犬
著鈴而
己族名謂腰佩人令取犬繩以獻上
故令止其者火
即幸行其若日下王之許
賜入其犬令詔
是物者
今日得道之奇物
故都摩杼比(此四字以音)
之物云而
賜入也
於是若日下部王
令奏天皇
背日幸行之事
甚恐
故己直參上而仕奉
是以還上坐於宮之時
行立其山之坂上
歌曰
久佐加辨能
許知能夜麻登
多多美許母
幣具理能夜麻能
許知碁知能
夜麻能賀比爾
多知邪加由流
波毘呂久麻加斯
母登爾波
伊久美陀氣淤斐
須惠幣波
多斯美陀氣淤斐
伊久美陀氣
伊久美波泥受
多斯美陀氣
多斯爾波韋泥受
能知母久美泥牟
曾能淤母比豆麻
阿波禮
即令持此歌而
返使也

読み解きは来週に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P102の6行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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